軍歴なしでの入隊

「ウクライナの子供たちが戦争の犠牲になっていることをニュースで見る度に、胸を痛めて少しでも助けになりたいと義援金の寄付をしていました。でも実際に現地に赴いて助けたいという気持ちが強くなり、人道支援のボランティアをしたいと思いましたが、言葉が話せず、コネもないので断念しました。

たまたまとある日本人義勇兵とFacebookでつながり、彼からアドバイスをもらい、義勇兵としてのウクライナ行きを決めました。ウクライナ軍に入隊すると給料も出るということだったので生活にも困らないと思って…」

戦場での唯一の癒しという煙草をふかしながら話すケンさん
戦場での唯一の癒しという煙草をふかしながら話すケンさん

それまで貯めていた貯金の大部分を養育費として妻に支払い、ウクライナの隣国ハンガリーのブタペスト行きのチケットを買った。

ブタペストからは陸路で国境を越え、ウクライナ軍傘下の外国人義勇軍部隊の1つであるジョージア部隊を訪ねた。しかし、軍歴もなく外国語も話せないことで入隊できないことを知ったケンさんは、同じ部隊で仲よくなったスペイン人の紹介で第204独立領土防衛大隊を紹介された。

ここでも当初は軍歴がないことで入隊を拒まれたが、スペイン人が説得してくれたおかげで正式に入隊が認められた。部隊の基地はキーウ郊外にあり、司令官の面接を受けてジョージア部隊にいた元ヤクザで50歳のハルさんと、建設業を辞めて義勇兵になった25歳のスズキさん(2人とも仮名)の2人の日本人義勇兵と共に砲兵部隊に配属が決まった。

左から日本人義勇兵のハルさん、ケンさん、スズキさん
左から日本人義勇兵のハルさん、ケンさん、スズキさん

「初日からすぐ基礎訓練は始まりました。20代の若者に混じり2kmのランニングをはじめ基礎体力作りをするのですが、部隊で一番体力がなくてキツかったです。人を担いだ時にギックリ腰になってしまいました。射撃訓練ではAK74ライフルをたったの3発しか撃てなかったので今も不安です」