ウクライナはロシアFSBが管轄していたが…

ロシアがもし、2014年のクリミア併合の際に、本格的なウクライナ侵攻を実行していたら、今回のロシアの想定通り、48時間程度で勝利を収めていたのは確実とみられる。しかしウクライナは2014年以降、インテリジェンス機関も軍隊も劇的な変貌を遂げていた。ウクライナが想定外に強力になっていたので、ロシア軍は緒戦で大きくつまずいたのである。

大きく分けて、2つのポイントがある。ひとつはウクライナをコントロールしてきたはずのロシア情報機関が想定通りの機能を発揮していなかったこと。

もう一点は、対照的にウクライナ軍と情報機関は欧米、特に米国から、2014〜22年の間に多大な援助を受けていたことだ。これらの2点をさらに追究しておきたい。

ロシアの主要な情報機関は、対外情報機関がSVR、国内治安・防諜機関がFSB、軍事情報機関がロシア軍参謀本部情報総局(GRU)の3つに分かれる。ウクライナは外国なので本来ならSVRの管轄となる。しかしウクライナは旧ソ連の構成国で、SBUはもともとソ連国家保安委員会(KGB)のウクライナ支局だったこともあって、FSBの担当下に置かれてきた。

プーチン大統領はFSB組織の改革と強化を進め、FSBをKGBに似た総合的で巨大な機関に発展させた。自分がFSB長官だった1998年には、第5局という新たな部門を設置し、外国人のリクルート任務や旧ソ連構成国に対するスパイ工作を行う権限を付与した。本来は国内防諜機関であるFSBの性格を変えるほどの大転換だった。

第5局は発足から20年を経過して、旧ソ連構成国に対してにらみを利かせる強力な部門に発展した。その局長に、プーチンが最も信頼していたと言われるFSB幹部、セルゲイ・ベセダ上級大将を任命した。

しかしベセダ局長はその後、成果を挙げることができていなかったようだ。米外交誌『フォーリン・ポリシー』など米メディアにも寄稿するロシアの調査報道ジャーナリスト、アンドレイ・ソルダトフによると、2014年の「マイダン革命」の際、ウクライナやアブハジア、モルドバの現場で第5局の工作員が逮捕される失態が表面化、ベセダ局長は責任を問われたという。

にもかかわらず、プーチン政権はウクライナ侵攻に向けた秘密工作で、第5局にウクライナの「政治インテリジェンス」収集と親露派野党勢力へのテコ入れという重要なミッションを与えた。第5局は2022年2月までに、1チーム10〜20人の特殊工作員を約200人派遣したという情報もあった。

しかし、明らかにロシアのゼレンスキー政権打倒工作は大失敗に終わり、第5局の起用は裏目に出た。この失敗でベセダ局長は逮捕され、スターリン時代から使われている警戒が厳重なレフォルトボ拘置所で拘束されたという情報もあった。工作員も約150人が解任されたと言われる。ウクライナ国内での秘密工作の任務は第5局からGRUに移されたとも伝えられた。

ウクライナのゼレンスキー大統領
ウクライナのゼレンスキー大統領
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