そして、71年にマクドナルドが東京・銀座に第1号店を出したことで、日本人にとってハンバーガーが身近なファストフードになった。その影響は大きく、ほそやのサンドにもこれまで以上に客が詰めかけた。店の前の通りは、「虎屋横丁」ではなく「細谷横丁」と呼ばれたほど。
二枚貝の研究者からの転身
両親が切り盛りするハンバーガー店の息子として生まれ育った正弘さんだったが、自身は50歳手前まで飲食業とは無縁のキャリアだった。
大学卒業後、二枚貝専門の研究者として、東北大学の教授が立ち上げた水産関連の研究所に就職した。仕事は充実し、インドネシアやニュージーランドなど海外を転々とした。
ところが、1989年に母が亡くなったことで状況が徐々に変わり始める。
「親父からは何も言われなかったけど、店を手伝ってくれていたもう一人の方からはよく電話で『いずれ戻ってこないと駄目だぞ』と諭されました。私も兄弟がいればそっちに任せられるが、なにぶん一人っ子なので」
01年、意を決して48歳で研究所を退職。店に立った正弘さんはすぐに新しいメニューの開発に挑戦した。その中で今なお人気商品となっているのが「ジャンボバーガー」だ。パテはハンバーガーの倍となる130グラムで、味付けにグレイビーソースを使っている。