正弘さんは正志さんの右腕として、店を盛り立てた。02年にはハンバーガーの売り上げが累計100万個を突破した。

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テイクアウト用の紙袋。レトロ調のデザインがいい

今なお変わらずこの店が愛される理由はいくつかある。冒頭に述べた、他にはそう真似できない美味しさに加えて、約10年変えていない価格も魅力的。国産牛100%で作るハンバーガーが350円と、値ごろ感がある。本音はもう少し値上げしたいが、「お客さんが喜んでくれるからギリギリまでやろうと思います。コロナの助成金で多少余裕もできたので、まだ頑張れるかな」と正弘さんはつぶやく。

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オリジナルの包装

味以外の人気の秘密

客層もが幅広い。年配客ばかりの日もあれば、若いカップルが多い日もある。中には親子3世代の常連客もいる。「なぜそんなに皆さん通い詰めるんですか?」と問うと、「いや、わからないですよ」と正弘さんはぶっきらぼうに答えたが、しばし沈黙の後、こう口を開いた。

「親父がよく言われていたのは、人柄の良さ。皆さんが食べに来てくれたのは、親父の人柄がにじみ出てくるハンバーガーだからじゃないですか。その点、私はつっけんどんで、あまり喋らないし、冷たく暗いですよ(笑)」

正弘さんの長男で、現在は共に店で働く暁裕さん(31)も、正志さんの人柄を懐かしむ。

「おじいさんは本当に優しい人でした。怒られことはほとんどない。歳を取ったらああいう人になりたいなと思っていました」

正志さんは2010年に83歳で亡くなる直前まで店に立ち続け、最後までハンバーガーに人生を捧げた。

「工夫を重ね、ハンバーガーのレシピを変えないで済むほど高いレベルにしたのは親父のおかげ。うちの神さまみたいな人ですから。ありがたい話です」(正弘さん)

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店内の奥には正志さんの写真が飾ってある
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客の「美味しかった、ありがとう」が励みに

年中無休も、ほそやのサンドの売りだろう。長年休まずに店を開け続ける原動力は何か。

「お客さんからお金をいただいて、さらに、美味しかった、ありがとうと声をかけてもらえると嬉しいですよ。そこまで言ってもらえるなら、やれる限りはやっていこうかなという気持ちになります」

一方で、長く商売をしていると辛い目にもあう。

「ときどき思い出すのが、東日本震災以降、来なくなっちゃったお客さんがいるんですよね。それまではよく通ってくれた、名前も知らないお客さん。沿岸部に住んでいたんだよね……。天国に行ってから、あのときはこうだったんだよと話ができればと思っています」

コロナ禍でもほそやのサンドは休みなく営業を続けてきた。ただ、まだ以前のような状況には戻っていない。「コロナになってからは仕入れを7割ほどに減らしています。夕方までには売り切れて、早めに店を閉めちゃっているのが申し訳ない」と正弘さんは首を垂れる。

コロナ禍が終息して、12席しかない店内で客同士が肩を寄せ合いながらハンバーガーを頬張る姿を見たいと、正弘さんは願っている。その先に見据えるのは、創業100年という目標だ。仙台の人たちにハンバーガーを知らしめた初代の思いを絶やさず、これからも2代目、3代目でこの暖簾を守り抜いていく。

撮影・文/伏見学