おにぎり弁当が結んだ世界の人々との絆

話をテニスに戻そう。
後にグランドスラムの常連にもなった岡本久美子との縁は、年月を重ねるごとに、新たなテニス選手との縁を引き寄せた。世界で戦う日本人の先駆けである井上悦子や岡川恵美子、そして後に木下氏と交際・結婚する西谷明美。
80年台、彼女たちがパイオニアとして切りひらいたケモノ道に、後進として続いたのが、伊達公子ら日本テニスの黄金時代を築いた面々である。そのケモノ道に現れるオアシスのように、選手たちが休息を取り、美味しい日本食にありつける地……それが、レストラン日本だった。
 
日本人選手たちがレストランを訪れると、倉岡氏は帰りに「明日の分に」と言って、おにぎり弁当を手渡すのが慣例となる。大会会場で日本人選手たちが食べるそのお弁当は、やがて他国選手の目にも触れ、関心を集めていった。健康志向の強いマルチナ・ナブラチロワ(当時チェコスロバキア)や、木下氏曰く「珍味が大好きなグルメ」のバージニア・ウェイド(イギリス)らが、その代表格。

ある年、ウェイドは倉岡氏に、「ウィンブルドンは食事が美味しくないの。ミスター・クラオカ、なんとかしてくれない?」と相談を持ち掛けたという。果たしてウェイドの意図が、深刻な依頼だったのか、冗談半分だったかは分からない。いずれにしても倉岡氏、なんと私財持ち出しでウィンブルドン会場近くに一軒家を借り、料理人数名と木下氏を伴ってロンドンまで出張したのだ。

レストラン日本の“臨時ウィンブルドン支店”は、本店の繁盛により90年代に入ると途絶えはする。ただその分もと言わんばかりに、全米オープン期間になると倉岡氏は、会場で常客選手を応援し、夜には温かくもてなした。岡本を起点としたテニスとの縁は、数珠繋ぎに広がり、世界中の選手を結びつけたのだ。

「人の縁といえば、こんなこともあったんです」と、木下さんは、あるエピソードを披露する。
お店の常連にスロバキアのドミニク・ハバティという選手がいて、倉岡氏は彼の試合をよく応援していた。そんなある日の夜、大柄な東欧の選手がお店を訪れ、「今日の試合で、あなたはドミニクを応援していたでしょ? 僕が彼の相手ですよ」と自己紹介したのだ。以降はその選手もお店の常連となり、うな重が何よりの大好物となる。

「その方が今、錦織選手のコーチをしているマックス・ミルニーですよ」と木下氏。
今大会、錦織圭はケガのため出場は成らなかったが、開幕前にはニューヨークを訪れ、お店にも顔を出したという。その時にミルニーが頼んだのも、やはりうな重だった。