明石市に「お金がない」は噓だった

公共事業に関しては、私は明石市長になってすぐ、市営住宅の新築を中止。戦後何十年と続いてきた明石市の市営住宅建設は、私をもって終わりました。

明石海峡大橋 写真/shutterstock
明石海峡大橋 写真/shutterstock

そして20年間で600億円の予算で進められていた下水道整備計画も、150億円に削減。100年に1度の豪雨での、10世帯の床上浸水対策に、600億円もかける必要はないとの政策判断です。

どの方針決定も、やってしまえば簡単でしたが、そこに至るまでの市職員の抵抗には、半端ないものがありました。「いま必要な仕事」というより、前例を踏襲してお金と時間を使っていた、役所組織の仕事です。「それは本当に必要か?」という前例を疑う私の問いかけ自体が、市役所の中では「愚問」でした。

先述のとおり、市長に就任した当初から「お金がない」と聞かされていましたが、増税もせずに政策展開ができて、市民サービスの向上をはかり、財政は好調になり、私に対するアンチによる「泉市政では明石のインフラが壊れる」という批判も的外れでした。

歴代市長が放置してきた、土地開発公社の100億円の隠れ借金も払い終わり、子どものための「5つの無料化」(子ども医療費の無料化・第2子以降の保育料の無料化・中学校の給食費無償・おむつ定期便・公共施設の入場料の無料化)を行ない、人口は10年連続で増加、地価も上昇、市の貯金も70億円から100億円台に増やしました。

市長を12年やった結論として、「お金がない」は噓だったと言えます。お金がないわけではありません。お金の「使途」「優先度」の問題なのです。

コストバランスも考えず、緊急性も代替手段も考えず、必要性の乏しい事業を漫然とやり続けていたから、お金がないように見えていただけです。