財務省対厚労省、抗争の歴史

弱者救済のための議員立法に駆け回っていた議員時代。法務省、厚労省、内閣府の委員会など、各関係省庁の官僚と仕事をしましたが、当時の私を応援していたのは、なんと財務省でした。この背景には「財務省対厚労省」の省庁間の抗争があり、財務省は私を使って、「厚労省潰し」を画策していたのです。

当時、やたらと私の部屋に来る財務官僚がいました。事あるごとに彼は、秘密の情報を私にくれます。その情報は、なぜか厚労省の不備や不始末に関するものばかりでした。「なぜそんなことを?」と不審に思ったのですが、私に情報を流すことで、厚労省潰しのリークを目論み、また私のことも自分たちの配下に置こうとする。

官僚組織の権謀術数を目の当たりにして、私は呆れつつも「すごいなあ」と妙な感心をしたものです。

泉房穂さん 撮影/内藤サトル
泉房穂さん 撮影/内藤サトル
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戦後の政治の歴史は、「財務省対厚労省」の抗争の歴史でもあります。戦後の復興予算を一手に握ってきた旧大蔵省(財務省)は、つねに中央省庁のトップに君臨してきました。

国民の税金は全部自分のところに集めて、他の省庁に対しては、自分たちに頭を下げた人間に金を渡していく。戦後一貫して、財務省は税金を源泉とした巨大な権力を行使してきました。

ところが厚労省は、それが許せませんでした。

つまり、財務省がお金を集めたところで、道路やダム、港湾建設などの公共事業に優先的に流れていき、福祉は後回し。だから、自分たちで財源を確保しようということで、厚労省は保険制度に活路を見出し、1961年の医療保険、国民年金に始まり、さまざまな保険を作り、2000年には介護保険を作りました。

保険制度は、財務省とは直接の関係がありませんから、厚労省は別ポケットで、自分たちのお金(国民の保険料)を集めることができます。実際は、年金も現行制度の財源は保険料と税金のミックスで、介護保険も、財源の半分は税金ですから、財務省と無関係ではないのですが、そうは言っても別ポケットの財源です。

そのように財務省と厚労省との戦いがあり、政局の裏側にも、「財務対厚労」の戦いがありました。