『こち亀』の秋本治先生からのファンレター
庄司陽子さんとも同じ雑誌で描いていたので、なにかとお喋りすることが多いです。
はじめて会ったときから明るくて元気いっぱいな庄司陽子さんと今話すのは、お互いに「あそこがいたい、ここが苦しい」と、病気の話がメインになってしまいました。「年とっちゃったわねぇ」「私より長生きしてね」などなど話し合っています。
昔は「どこの編集部が待遇がいい」とか「個々の契約でこんなことを言われた」なんて仕事、特に契約に関する情報交換が多かったものです。一条ゆかりさんやもりたじゅんさん、池田理代子さんあたりの集英社系のマンガ家さんとは、ガス抜きというか、他社情報を交換していました。
週刊誌だと、急いで決断しなければいけないことも多いのですが、同じ雑誌でネタやキャラクターの名前がかぶるといけないので、そんな調整もしていました。「この名前をつけようと思って」「あ、それ予告に入れちゃった」なんて話し合うのです。
80年代はどんどん雑誌ができて、大人向けのレディースマンガができてきた頃ですから、創刊された雑誌に描くか相談したり、「みんな重たい話が多いよね、ちょっと軽いのがあったほうがよくない?」なんて編集が調整するべき内容を心配してみたり。
誰だってしんどいときはありますが、みんな、しんどいとか辛いとか言いませんでした。やっぱり自分で選んだ仕事ですから、肝が据わっているのです。口では「好きでやってるんじゃない」なんて言いながら、努力しているんですよね。
それから『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の秋本治さんがデビュー当時にファンレターをくださったそうです。
「自分もマンガ家を目指そうと思いました」という手紙を読むと、すごく嬉しくて、私はお返事も出したらしいんですけど、覚えていなくて。秋本さんからずっとあとになってビッグになってお目にかかったとき、「僕ね、ファンレター出してお返事もらったんですよ」と教えていただきました。