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漫画家デビューまでの道のり

――成田さんが漫画家になるまでの経歴を教えてください。

成田(以下同) 8歳か9歳のころに父親が夜逃げをして、母親がめっちゃ働いていたんですが、俺が10歳のときに働きすぎたのか病気で亡くなってしまって。そこからは叔母に引き取られて暮らしていました。その人が映画と漫画が好きな本当に素晴らしい人で、まずその叔母の影響がかなり大きかったですね。

中高一貫の全寮制の男子校に通っていたんですが、中学の卒業時期の進路決めのときに、叔母に初めて漫画家になりたいと話しました。それまでほとんど反抗もしたことなかったけど、「ちょっと絵が描けるからってなれるもんじゃないんだぞ」と本気で言われて、初めて「夢を目指すこともダメなのか?」って反抗したんです。それからは漫画系の美術大学にも進学させてくれて、本当に感謝しかないですね。

【漫画あり】「全然おもしろくないね。週刊連載の漫画家が1年に何ページ描いてるか知ってる?」漫画家・成田成哲のデビューへの道筋となった担当編集の忘れられない一言_1
漫画家・成田成哲さん
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――今、漫画家になってかなり喜んでくれているんじゃないですか?

それが『マッチョグルメ』で初連載が決まったと連絡をしてから1、2か月後に亡くなってしまったんですよ。だいぶ前の話なので自分の中で消化はできてるんですけど、実際に描き上げた漫画を見せたかったですね。

【漫画あり】「全然おもしろくないね。週刊連載の漫画家が1年に何ページ描いてるか知ってる?」漫画家・成田成哲のデビューへの道筋となった担当編集の忘れられない一言_2
デビュー作『マッチョグルメ』より ©成田成哲/集英社

――漫画家としてのキャリアはどう始まったんですか?

大学卒業後には、もう実家の町工場に就職しようかと考えていたんですが、「最後に!」とヘタな漫画をいくつかの出版社に持ち込んでみたんです。そのときの秋田書店の人がめちゃくちゃいい方で、まあ「全然面白くないね」と言われたんですけど、「週刊連載の漫画家が1年に何ページ描いてるか知ってる? 1000ページだよ」「本当に漫画家目指したいんだったら、ここから死に物狂いでやんないとダメだよ」って激励の言葉をたくさんもらったことを今でも憶えています。
その帰り道、1時間半くらいかかるんですが、まるまる1本のストーリーができたんです。それから叔母に「すみません、3か月だけ時間をください」と頭を下げて、本気で筋肉や漫画の勉強をしまくって初めて描いた作品でヤングジャンプの担当さんがついて、一緒に取り組んだ漫画が受賞できたのが始まりですね。