新大久保の可能性

もちろんこうした仮説は、ではいかなる文化がいかに消費されているのかを具体的に調べることによって裏付けられなければならない。

『愛の不時着』のセリや『椿の花咲く頃』のドンペグ、『賢い医師生活』のソンファたちが、いかにあらたな職業生活や男女関係を生きるように勇気づけ、促していたか。またBLACKPINKを代表とする女性アイドルたちがいかにガールクラッシュと呼ばれるような男性に媚びない生き方を示し、BTSを代表とする男性アイドルたちが、自分らしくいることを擁護する主体としていかに男性像をバージョンアップしてきたのか。

BTSや『愛の不時着』は“お守り”として消費されている!? 消費市場から眺める韓流カルチャーが“未来の保証”を提供し続けている意義とは_5

たとえばそれらのそれぞれについてまずは具体的に、またできるだけ丁寧に調べる必要がある。そうすることで韓流文化がいかに日本、あるいはグローバルな文化の空白を埋め、どこを更新したもより詳しく理解できるようになるだろう。

その作業はここでは手に余るが、だとしてもなお、これまで日本の若年女性たちにあたえられてきた商品の量と質の幅をはみ出すドラマやエンタメを、韓流文化が多様かつ大量に提供し続けていることの意義はやはり確認しておきたい。

それは男と対等に渡り合いながら、恋愛や家庭関係においてのみならず、職業生活においても成功していく女性たちの姿を次々とみせてきた。予定調和的といえばいえるだろうが、理解のある男性との遭遇やありえないような幸運によって恋愛も仕事での成功も手に入れる女性たちを、韓流文化はくりかえし描き、それを日本の若年女性たちは自分の未来を保証するものとして、お守り的に消費してきたのである。

もちろんそうして明るい夢が次々と提供されてきたそもそもの背景には、韓国社会の厳しい現実があることも忘れてはならない。Kドラマが描き、K-POPのアイドルが体現する「成功」は、あくまで代償的な夢としてあるにすぎないのではないか。格差の増大、競争の激化、男女の不平等の残存、結果としての少子化といった日本以上に厳しい韓国社会の問題が、よくみればたしかにそこには暗い影を落としている。

日本で、または世界中でそれを享受しているわたしたちのような消費者が、どこまでそうした事情を理解しているのかにはたしかに疑問が残る。韓国の文化を「誤解」し、勝手な理想を投影しているという面が、「韓流」ブームにはやはり拭いがたいのである。

BTSや『愛の不時着』は“お守り”として消費されている!? 消費市場から眺める韓流カルチャーが“未来の保証”を提供し続けている意義とは_6
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それでなお文化の「理解」とはつねに「誤解」の積み重ねであり、そのくりかえしのなかで韓流文化が、日本社会が十分に育んでこなかった可能性を垣間見せてくれていることの意味を無視してはならないだろう。ジェンダー的、購買力的に閉じられた国内市場という囲いを飛び越え、男女や貧富や国籍や年齢を超え、対等な関係を築き何とかやっていく――『賢い医師生活』や『椿の花の咲く頃』、『愛の不時着』、『わたしのおじさん』にそれぞれ示されていたような――可能性を、韓流文化は手に届くかのようなかたちでみせてくれているのである。

だとすれば韓流文化に憧れ、新大久保を闊歩する女性たちの姿をひとつの希望と捉えることもできるのかもしれない。そこでみられている夢の多くが都合の良い絵空事で、そもそも個人で小さな幸福を手に入れるという望みそのものが、社会を変えることをむしろ遠ざけていると批判する者もいるだろう。それはたしかにそうだとしても、ある集団として夢見られた個人の夢と挫折が積もり積もっていくことで、これまで以上にましな社会がつくられていく可能性こそ、私には賭けるに値するもののように思われるのである。


文/貞包英之

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