日本市場の外部
しかしだからこそ韓流文化は熱狂的に受け入れられているのではないか。考えてみなければならないのは、韓流文化が、現実の社会では確固たる基盤をみいだせない人びとの自信を補い、鼓舞し、勇気づけ、男たちと対等に生きることを促す力になっている可能性である。
この場合、韓流文化はたんに勝者の文化とはいえない。消費者であることを望みながら、かならずしも自分がそうである確証を持たない人をエンパワーメントする商品としてそれは受け入れられている可能性が強い。そうであればナショナルな枠組みを超えて、あえて韓流文化が摂取されていることにも一定の説明ができる。
かならずしも高い教育を受けず、豊かではないにもかかわらず、自分に対する自信を持ち、男女が対等であると信じる韓流ファン的女性たちに、この国の市場ははたして充分に商品を供給してきたといえるだろうか。
そもそも市場は豊富な消費力を持っている者に多くの商品を供給するシステムとしてある。だからこそ、たとえば近年の経済的停滞のなかでも、まだなお比較的購買力を維持する単身的な男のオタクたちのファンタジーを満たす商品が豊富に供給されてきたのである。
他方、アニメファンやJ-POPファン以上に外で働くことを欲し、自分に自信を持つような女性たちをエンパワーメントするための商品がこの国で豊富につくりだされてきたようにはみえない。
経済不況に加え、ジェンダー的な構造、さらには現在50歳前後の団塊ジュニア以降で顕著に進んだ少子化が、そうした女性たちが市場で大きな力を発揮することを阻んできたためである。だからこそそれを補うものとして、韓流文化が見出されたという仮説をここでは立てておきたい。
経済的な不遇や少子化を前提として、女性が女性として強く、または屹然と生きていくことを勇気づけるファンタジーを近年の日本社会は充分深く、また多様に供給できてこなかった。その穴を満たす文化的商品――韓流コスメなどのより機能的な商品も同じだが――をいち早く提供することで、韓流文化は熱狂的に受け入れられてきたとみられるのである。