モデルとして活躍するカイヤの人生譚
「最近は『VOGUE』や『Harper's BAZAAR』の仕事でアフリカやオーストリアに行っていました。今までも何度か出演してきましたが、3月にはパリコレにも出演してきました。
2月にはニューヨークのファッションウィークに参加したのですが、とてもうれしいことがありました。タイムズスクエアにあるビルボードに、私の写真が大きく出たんですね。
今思い出しても感激して涙が出ちゃう」
カイヤさんは世界各国でモデルの仕事を続けているが、少女時代は米国イリノイ州のジャーマン・バレーという、ドイツからの移民によって形成された町で育った。イリノイ州といえば、大都市・シカゴを擁し、かつ民族構成が多様化した州としても知られている。
「私が子どものころのジャーマン・バレーは、人口が200人あまりの、本当に小さな田舎町でした。
父は厳格で、キリスト教の規律を大切にするドイツ系アメリカ人。エンジニアの仕事をしていて、町長も務めていました。
母はネイティブ・アメリカンのスー族出身で、努力の人。とても優秀な人で、19歳でアメリカ史上最年少の郵便局長になった女性でした。のちに人道活動家としての功績が称えられて、大統領に表彰されたこともあるんですよ。
私は4人姉妹の3番目。みんな金髪で青い目ですが、なぜか私だけ、母譲りの背の高さと緑の目だったんですね」
このころから、家族の中でも異端の存在だったというカイヤさん。性格もしかりだったという。
「恥ずかしがり屋なところもあったけど、活発なことが大好きだった。ですから、姉妹の中では見た目も行動も目立つ存在でしたね。いろんなスポーツにも挑戦しましたよ。
お金を稼ぐことに興味を持ったのも早くて、8歳のときに早朝の新聞配達の仕事を始めました。物を作ることも大好きでしたから、12歳のころには、近所の人たちから依頼されて洋服を作ったり、修理をしていました」
敬虔なクリスチャンで、博愛主義者の両親は、人のために働き、施すことが当たり前という考えを持った家庭を築いた。
「食べ物に困っている人がいつ家に来てもいいように、ドアに鍵はかけないんです。一時期、身寄りのない子どもを6人も預かっていたこともありました。
母はさまざまな寄付はもちろんのこと、刑務所にも食べ物を差し入れしていました。なので、世の中にはいろんな事情を抱えた人がいることを子どものころから見知ってきました。
そして、両親が愛情を与えると、その人たちは人生が変わった。愛を知ると、人生に希望が持てて仕事もうまくいく。それを身近に見てきたから、いま思うと私にとってはすごくいい教育でしたね」
そのため、「困っている人を見ると助けずにはいられない。ホームレスを見かけて、家に連れて帰ったこともある」と笑うカイヤさん。