優秀さに対する不安
#1で論じた様に、韓流文化を好む層には、フェミニズムからしばしば批判を受けてきたポスト・フェミニズム的な主体としての面を少なくとも垣間みることができたが、韓流ファンの多くをポスト・フェミニズム主体とみなすことには、いくつかの留保が必要である。
第一に韓流ファンと「日本のドラマや映画をよく見る」層や、「アニメを見るのが好き」な層とあいだに対照的な関係を先に想定したが、それは絶対的な差とはいえない。たとえば友人の多さや流行に対する敏感さ、家の外で女性は働くべきとみなすことなどにおいて、実は「日本のドラマや映画をよく見る」層や、「アニメを見るのが好き」な趣味を持つ人びとも、平均と比べればより積極的な、いわばコミュニカティブな傾向を示しているのである。
このように違いがあくまで相対的であることは、ある意味では当然である。現在の文化摂取は階層分断的に行われているのではなく、より多くの収入や教養を持つ者がより多様な嗜好を示すという文化的雑食性(オムニボア)を強調する見方がある。
ひとつの文化に精通できるのはそれだけの経済的、社会的な資源を持っているからとすれば、そうした人びとが別の趣味に通じている可能性も高い。韓流ファンも大きくみればこうした文化的優越者のグループに含まれていることを前提として考えておく必要がある。
この場合、先にみたポスト・フェミニズム的な傾向も、韓流ブームの愛好者にかぎられない、文化的な商品を愛好する者すべてに共通する傾向である可能性をあわせて考えておかなければならないだろう。
一方、より細かくみれば、韓流ファンの内部にも分断がある。「韓国のドラマや映画をよく見る」層と、「K-POP(韓国のポピュラーミュージック)が好き」な層には差がみられ、単純化すれば、前者は20代、30代を中心としたより年長の集団で自己に対する信頼が強いのに対し、後者はより若年層を中心として、一般的な日本のドラマや歌を好む層により近い。後者の層にとって、韓流文化は日本の文化とより地続きにあり、だからこそ他の音楽やドラマのファンとしばしば共通する傾向をみせるのである。