谷口太規氏(左)と大澤真幸氏(右)
谷口太規氏(左)と大澤真幸氏(右)
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〈ひとり〉の問いは、なぜ公共に向かうのか

谷口 こんにちは。私は弁護士を20年ぐらいやっていますが、もともと大学時代には社会学や哲学を学んでいて、大澤先生のところで卒業論文を書いたご縁があり、以降も先生からは、公共訴訟のことなどでもご支援いただいています。 

大澤 谷口くんは僕が京都大学で教えていた頃の教え子なんですが、勉強も非常にできて、司法試験もあっさり合格してしまいました。でも学生の時には「法律をやる」とは言ってなかったんです。ただ、今考えてみると、自分のやろうとしたことを貫くために弁護士になったんだな、と思います。 

彼の卒業論文には最高に近い点をつけたことをよく覚えています。内容は、非常に理論的な部分と、実証的な部分があり、「我々が異質な他者というものに、どう向き合っていくか」ということを大きなテーマとしていました。 

前半は資本主義論という感じで、抽象的な問題を扱い、「資本主義とは未来を収奪する」「その未来を収奪するプロセスで、我々の『他者』に対する感覚がだんだん鈍磨していく。そういうメカニズムを持っている」「それに対抗することができるのだろうか」というのがテーマでした。 

そして後半は、具体的にNPOやNGOに聞き取り調査をしながら「我々はそういう資本主義の大きなトレンドの中で、いかにしたら『他者』と向き合うことが可能なのか」ということについて具体的に見ていく、という構成になっていました。 

僕の想像では、谷口くんはそういう他者と向き合うための活動を実際にやっていくプロセスの中で「やっぱり法律というのが非常に重要だ」と感じたのではないか。「我々が個人的に問題になっていることを、ひとつの〈公共的で普遍的な問題〉として解決していくためには、法律が毎回必要になってくる」と。 

それで弁護士になって、そこからまたいろんなプロセスがあって、挫折を経験してアメリカに行ったりした。でも基本は、20代前半にやろうとしたことを今、現実のものにしているな、と思います。卒論に書いたことも空理空論ではなく、実際の行動の中でそれを実現しようとしている。それは僕としても非常に嬉しいし、トンビがタカを産んだみたいな感じです。 

谷口 大変もったいないお言葉をいただき、ありがとうございます(笑)。 

今日は『はじめての公共訴訟』という本の発売記念対談なんですが、公共訴訟というのは、「法律そのもの」とか「社会全体のルールを変える」ということなので「大きな裁判」みたいな印象があるかと思います。でも実は、私自身が弁護士になった動機も、しばらくの間ずっと仕事していたのも、もっと地味なものでした。声なき人たち、社会から見放されたような立場にある人たちのための仕事を、ずっとしていて。それは今でも続けているんですが、最初の10年以上は、そこのみをやってきたんです。生活保護を受けている方とか、外国ルーツでオーバーステイの方とか、高齢者や障害者とか、そういう人たちのための訴訟を1件1件やるという。 

でも、ずっとそういう事件をやっていると、とりあえずの危機は脱して感謝されるわけですが、何か澱(おり)のようなものが自分の中に溜まっていくんです。なぜならマイナスからゼロにはなるけれど、その人たちがそういう状態に陥った原因である社会構造や法というものは変わらないので。

「血はいつも止めてるけど、一体いつまでこの人たちはケガをさせられ続けるのか?」と思って。そういう人たちが、この社会構造やシステムに押しつぶされてしまう現状は解消しきれない。だから「もうちょっと上流に行かなきゃいけないんじゃないか」ということで、公共訴訟に携わるようになったんです。