なぜ「服装いじり」は反発を招くのか

まず話題の投稿において前提となるのが、「イオンモール」という場所が、多くの地域で日常生活の拠点になっているということだ。買い物をする人、子どもを連れて歩く家族、映画を見る若者、食事をする高齢者、仕事帰りに立ち寄る人。

そこには「おしゃれを見せに行く場」だけではない、生活そのものがある。

だからこそ、そこで見かける服装を一括りにして笑ったり嫌悪したりすると、単なるファッション批評では済まなくなる。誰かの休日、誰かの家族時間、誰かの暮らし方までまとめて見下しているように受け取られやすい。

似たような現象として、かつて「パーカーおじさん」という言葉も話題になった。一定の年齢を超えた男性がパーカーを着ることを揶揄するような言説に対し、SNS上では「好きな服を着て何が悪いのか」「清潔で場に合っていれば十分ではないか」という反論の声が相次いだ。

パーカーおじさんのイメージ写真(写真/shutterstock)
パーカーおじさんのイメージ写真(写真/shutterstock)
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今回の投稿にも通じるのは、服装そのものよりも、他人の見た目を勝手に採点し、そこに年齢や属性への偏見を重ねることへの違和感である。

では、なぜ人は他人の服装にケチをつけたがるのか。一つには、服装が「自分は何者か」を示すわかりやすい記号だからだ。人は無意識のうちに、相手の服から職業、年齢、生活水準、価値観を想像してしまう。もちろん、その想像はしばしば外れる。

けれどSNSでは、そうした雑な印象論ほど短く、強く、拡散されやすい。「こういう人、いるよね」という言い方は、見る側の記憶を刺激しやすい一方で、実在する誰かを乱暴に分類する危うさを持っている。

もう一つは、他人を下げることで自分の感性を上に置きたいという心理だ。ファッションは本来、自由で楽しいものだが、同時に「わかっている人」と「わかっていない人」を分ける道具にもなりやすい。特定の服装を笑うことで、自分はその集団とは違う、自分は洗練されている、と確認したくなる。

しかし、その優越感はとても脆い。誰かの服を笑った瞬間、自分もまた別の誰かから笑われる側に回るかもしれないからだ。