労組結成前夜の圧力

大椿裕子(以下、大椿) 『労組日本プロ野球選手会をつくった男たち』を読ませていただいて 一番強く共感したのは、その切実さなんです。労働組合がなかったら、自分たちの権利は守られない。健康や命も守られない。だから絶対組合を作らなきゃいけないんだという。

それも中畑さんが、自分ひとりではなくて、全球団、2軍の選手のためにもとそれを立ち上げられていった経緯に凄く惹かれました。ゼロから作るうえで何が最初、厳しかったですか。

中畑清(以下、中畑) 我々の場合は世間とのギャップがあったんだよね。プロ野球選手は一人一人が個人事業主の社長でみんながお金を持っている、世間から見れば、恵まれた環境の人たちという、誤解されやすいところがあったんですよ。

でも実態は全然違っていて、恵まれているのはほんの一握りの選手だけで、当時は何の発言権もなく、何の要求も通らずにいつクビになってもおかしくない生活。そこをまずファンに理解してもらうところからだったね。

中畑清 1954年生まれ。巨人で「絶好調男」として人気を博した元プロ野球選手。引退後は評論家、タレント、監督として活躍。1985年には日本プロ野球選手会の労働組合化を主導し、球界改革に尽力した。
中畑清 1954年生まれ。巨人で「絶好調男」として人気を博した元プロ野球選手。引退後は評論家、タレント、監督として活躍。1985年には日本プロ野球選手会の労働組合化を主導し、球界改革に尽力した。

大椿 選手会を労働組合にするということについては、どなたから、具体的なアドバイスはあったんですか。

中畑 山口恭一さんというまだ選手会が一般社団法人時代の事務局長、参与の方がいて、我々選手が何を要望しても誠実な対応をされないのを見た彼から、「経営者サイドに要求に応じてもらうには、組合しかないよ」というアドバイスを受けました。

山口さんは、選手が退団した後の共済金制度を作ることに尽力されていて、よく話をしたんだけど、以前も選手が労組を作ろうと行動を起こそうとした時に、圧力がかかって潰されたことがある、と教えてくれてね。それで認可されるまでは、情報漏洩しないようにマスコミ対応をしっかりしながら、隠密で都労委(東京都労働委員会)に通った。

あとは弁護士の長嶋憲一先生に相談して申請するには、何が必要なのかを教えてもらいながら、動いていきましたね。

大椿 それまで中畑さんの中には労働組合を作るっていう発想が特にあったわけではなかったんですね。何の知識の無いところから、立ち上げられたのは、やはりここで何かを変えないといけないという強い意志を感じられた結果なのですね。

大椿裕子 1973年生まれ。社民党所属の元参議院議員。大学職員時代に雇止め問題を経験し、労働組合活動に参加。非正規雇用や労働問題を中心に発信を続け、2023年に参議院議員に繰り上げ当選した。
大椿裕子 1973年生まれ。社民党所属の元参議院議員。大学職員時代に雇止め問題を経験し、労働組合活動に参加。非正規雇用や労働問題を中心に発信を続け、2023年に参議院議員に繰り上げ当選した。

中畑 ええ、それまで労働組合というのはイメージの中になかったです。だってプロ野球界はそういう世界じゃなかったからね。でも本当にこのまま、選手が何の権利も与えられずに、夢も魅力も無い世界のまま進んでいけば、野球界は絶対に衰退すると思ったから、未来のためにやるしかないと思いましたね。

経営者側にいた人も全体のことを考えて応援してくれた人がいたんです。それが長谷川実雄(巨人代表)さんや、坂井保之(西武代表)さんだったんです。君はすごいことをやろうとしている、実現したら、野球界が変わるぞと。

でもここまで変わるとは思わなかった。組合は野球界全体が変われるぐらいの組織なんだって今になって再認識することもできたわけですよ。

大椿 NPB(日本野球機構)との折衝のときに、「お前の誰が後ろにいるんだ?」とか言われたそうですね。プロ野球選手にこんなことができるはずが無いという偏見ですが、中畑さんは労働法とかも独学で勉強されたし、何より英断を下した。

私はそれを知って気持ちが熱くなりました。ポーランドの造船所の労働者で、自主管理労組「連帯」を作ってノーベル平和賞を受賞したワレサさんも「俺は5ページも本を読めないが、5秒で決断できる能力がある」と言っていました。たたき上げの強さですね。

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たたき上げは、大椿も同様であった。関西学院大学に勤務していた際に理不尽で一方的な雇止めに遭い、その切実さから立ち上がって国会議員にまで上り詰めた。国会での腹の座った質疑のやりとりは、これが一年生議員か?と政治部記者たちを驚かしたが、団体交渉で鍛え上げた地頭と担力が独特のプレゼンスを放った。かような人物だからこそ、中畑の労組創設時の苦労がより一層、深く理解されている。