権利を訴えたくとも「嫌なら辞めろ」
大椿 本当にこれ分かるなあ、と思う局面が多々出てきましたから。私の家は野球とか全く見ない家で野球に詳しいわけではないんです。でもその野球を全然見ない私でも選手会の会長を務められた往年のスターの皆さんは名前が分かるんですよ。
なんでだろうと考えたら、野球以外の番組でテレビに出られる機会がとても多かった。プロ野球選手の歌合戦とか、運動会とか。シーズンオフもああいうお仕事をされていんですね。
中畑 ポストシーズンが無かったんですね。プロ野球選手は個人事業主、それぞれ社長だと言われていましたけど、まったく自由が無い社長なんですよ。当時は365日、24時間拘束されていてキャンプや練習時間を入れると自由な時間なんかほとんど無い。
苦労してレギュラーになってこれでいい生活ができると思ったら、オフも拘束される。環境改善の要望を出しても球団からは、嫌なら辞めろと言われる。都労委には、その選手の置かれている労働実態を事細かに文章化して提出したんですよ。そうしたら、こちらが驚くくらいすぐに労働者性(※ある人が法律上「労働者」として扱われるかどうか)を認めてくれたんです。
申請してここから先、まだまだ山あり谷ありかと思っていてその覚悟も準備したんだけど、あんなにスムーズにいくとはと思ってなかった。都労委が驚くほど、労働勤務時間が酷かったんです。統一契約書に縛られて、契約交渉も一方的で本当に選手の立場は弱かった。
大椿 契約条件が折り合わなくても他球団との交渉が一切、できないわけですから、ここで契約してもらわなかったらもう野球ができない。そう思ったら、球団が何かふっかけてきた時にそれに応じるしかないですね。
中畑 FA(フリーエージェント)を勝ち取るまでは、そういう形がずっと続いていましたからね。例えば、打者は3 割打って一流の世界、つまり一流でも 7 回は失敗しているわけです。
そこで給料を上げさせないための酷い交渉になると、その7 回失敗しているマイナス情報を我々の前に出して攻撃してくる。3割打っているのにプロのプライドもズタズタです。野球選手にとって交渉事というのは、一番苦手な分野ですからね。それで文句を言ったら、やめさせてもいいという仕組みだったんです。
大椿 都労委への書類を制作するためには12球団の全選手にアンケートを取る必要があったと思うんですが、どこでどういう風にやってらっしゃったんですか?
中畑 他球団は主力選手が仲間として皆、協力してくれました。大きく動き出したときは会議室を借りて関係者以外、マスコミも全部シャットアウト、それで2 軍の選手と 1 軍の選手をすべて合同で説明会をしました。
2軍の選手は最初、組合と言っても理解していなかった。でも 1 軍のトップ選手になると、あ、そんなことができるんだと言ってくれてね。でも組合にして最終的に喜んでくれたのは、2軍の連中でした。
1軍の最低年俸保証が それまで380万円だったのを要求して、800万円まで勝ち取ることができた。2軍選手なんて年俸が300万円にいかないのがほとんどなのに、1軍登録されると試合に出なくてもそれが日割りで加算されるんで、一日で7~8万円になったかな。
年俸380万円なんて俺の同級生のサラリーマンよりも安かったんだから。そこを底辺から変えて、プロ野球に入って良かったと胸を張って思えるようになって欲しかった。
大椿 この1985年に中畑さんが労働組合にしていたことで、2004年に古田さんたちが、ストライキが打てたわけですね。その判断をしていたことが、いろんな人の心に響く体験だと思いました。
中畑 野球ファンじゃない人にもそれを理解してもらっただけでも嬉しいですよ。
大椿 ごめんなさいね(笑)
中畑 いえいえ(笑)。野球界は改めてそういう世界だったのかって気づいてもらって、だから変えないといけないと動いたことはすごく大事で、自分は良い苦労をしたんだと思いますね。創設のときは、野球人として 一番をいい成績残さなきゃいけないと思った年だったけど、野球どころじゃないんだもん。
これは将来のためにやんなきゃいけないことだと、なんか使命感みたいの背負っちゃった。それと自分で言うのも何ですが、キヨシがやるなら協力するよ、と各球団の選手たちが同調してくれた。これは大きかったですね。













