体ひとつで西成に漂着
坂田に救われた人は多い。その評判もあってか、彼女のX(旧Twitter)には毎日100件もの相談メッセージがくるという。しかし、彼女はカウンセラーではない。
「申し訳ないけど、SNSや手紙で相談してくる人は無視してます。
その代わり、悩んで悩んで悩みぬいてやっとの思いで私のライブに来た人は、私の命をギリギリまで削ってでも救ってあげたい。
そういう人たちがライブ後にスーッと笑顔になってくれるのが一番やね。『これでやっと生きられます』なんて言葉をもらえたらやっぱりうれしいし、これが私の使命なんだなって」
坂田が西成で歌うようになったのは3年前のこと。きっかけは夫との別居と金銭面の面倒を見てくれていたスポンサーの死だった。
「ほんまに体ひとつ、天涯孤独の状態で西成に流れ着いたって感じだったんですわ。
それでも生きていくためにはお金が必要やん? そしたら西成で仲よくなったミュージシャンに『佳ちゃんが歌ったら絶対みんな感動してお金入れてくれるから、一緒に路上ライブしよう』って誘われて」
そうして始まった三角公園での路上ライブ。しかし当初の投げ銭は多くて1日900円で、ひと月1万円にも満たなかったという。さらに西成ならではの苦労も。
「三角公園では元ヤクザや元犯罪者みたいなオッサンが昼間っから酒飲んでるから、野次ってきたり、ケンカをふっかけてくるヤツもいる。
でも、私は『ああ? お前どこのどいつや!?』って強気にでるから、取っ組み合いになることもしょっちゅうで。そのたびに抱き合って仲直りして、またケンカして……の繰り返し」