坂田佳子が悩める人に伝えたいこと
これが彼女には酒びたりになるのに十分な出来事だった。朝から晩まで焼酎を飲み続ける生活となり、アルコール依存症に。ラジオは1年で打ち切りとなり、ステージでも客への暴言、機材の破壊を繰り返し、ライブハウスやホテルを次々と出禁となった。
そしてたどりついたのが西成だった。しかし、坂田は自身の人生に「苦労をしたとは思ってない。苦労の意味がわからないし、これまでの経験はすべて財産だと思ってる」と胸を張る。
その経験が彼女の歌に乗り、観客の胸にまで届いているのだろう。
ネットでバズったことにより、彼女をシンガーとしてではなく、あたかも “珍獣”かのように一般人からスマホカメラを向けられることも増え、一時は西成を去ることも考えた。
しかし、彼女にはここに残って伝えたいことがあった。
「『私はまわりの人みたいにキラキラしてない』とか『私はなにもできない』って悩んでる子らがすごく多いけど、私はいつも、『あんたらは生きてるだけですばらしい。息をしいるだけですばらしいんだってことに気づけ』と言ってるんです。
人によって言葉は変えますけど、根幹で伝えたいことはこれだけなんです」
そんな坂田がこれまでライブしてきた中で、とくに印象に残っているお客さんについて聞いてみた。
「そうやね……。ある日、40代のお母さんと小学生くらいの娘さんが来たんやけど、その雰囲気が異常だったんですよ。子どもを支配しているというか、『あなたは私の言うことだけ聞いていればいいの』とか言ってて周りのお客さんも引いてて……。だから『今日はこいつやな』と、お母さんが改心するまで責め続けたね。
『お前の教育は間違ってんだよ』とか、『子どもはお前の所有物ちゃうんやぞ』とボロカス言ってやったんですけど、これも私にとってのライブ活動の一環。喋ってるときも私は歌ってるんです。だからあの日の親子も、最初は母親は鬼のような形相をしていたのに、ライブが終わったころには菩薩のような顔になってました。
『本当に大切なことに気づきました』と子どもを泣きながら抱きしめてくれたんです」
現在では「本当に私の曲を聞きたい人に届けたい」という思いから、ただのギャラリーも多い三角公園から、浪速区新今宮の韓国屋台「イテウォン」にライブの拠点を移した。
アルコールの影響で体の自由が利かない日は少なくない。それでも彼女は人生のすばらしさを、マイクがあってもなくても、叫び続けている。
取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班