順風満帆なジャズシンガー人生が一転

そんな生活を送っているうちに、「ボロボロになって歌ってる女がおる」という噂が西成中に広まり、客とともに投げ銭も増加。以降の活躍は前述のとおりだが、本人はまさか自分が路上ミュージシャンになるとは思ってなかったという。

福井県小浜市出身の坂田の実家は、地元では知らない人がいないほどの名家だった。しかし、厳格な家庭で育てられた反動で、坂田は奔放な高校生活を送るようになる。

「まぁ早い話、グレたんですわ(笑)。バイクを盗んだり、男の家に入り浸ったり、男をとっかえひっかえしたり。ヤリまくってたし、母親からも白い目で見られてたね(笑)」

若いころの坂田佳子
若いころの坂田佳子

高校卒業後は当時交際していた男を追って大阪へ。楽に稼げそうという理由で北新地のクラブでホステスとして働き始めると、その物怖じしない態度がウケて、瞬く間にナンバーワンになった。音楽と出会ったのはそのころだ。

「27歳のころかな。それまで音楽とは無縁な人生やったんやけど、お客さんに連れて行ってもらった北新地のジャズバーで歌ってる人を見て、『あれを私がやったらもっとカッコいいのに!』と思ったんですよ」

その後、事務職を挟んで28歳で北新地のクラブで歌手デビュー。音楽はほぼ独学で学んだというが、その類いまれなるセンスとソウルフルな歌声で着実にステップアップし、大阪難波の高級ホテル「スイスホテル」の専属歌手に抜擢されるほどになった。
そんな彼女がなぜ路上ミュージシャンになったのか。夫との別居とスポンサーの死以外に、もうひとつ大きな原因があった。それが今も彼女を蝕み続ける酒だった。

ジャズシンガーとしてライブハウスで歌っていたときの坂田佳子
ジャズシンガーとしてライブハウスで歌っていたときの坂田佳子

「今から7年前、Kiss FM KOBEの『JAZZ GROOVE〇〇な話』ってラジオ番組でパーソナリティをやることになったんですが、局側に『桑田佳祐さんと福山雅治さんの間にお前の番組があるんだから、今までみたいに自由奔放にされたら困るんや』と。
SNSで発信するにも随時チェックが入るし、コンプラなんてガン無視で生きてきたから、そんな不自由な状態があまりにストレスで……」