普遍的な暮らしの中にある人の情
若手落語家はしばしば、噺の冒頭から飛ばしすぎて師匠に怒られるので、『ギルバート・グレイプ』のラッセ・ハルストレム監督のようにていねいなネタ運びをしなければと勉強になった。
いつの時代も変わらない、暮らしの中にある人の情を描く。
国や置かれた環境は違うのに、当時を知らないはずのクラシック映画から懐かしさや共感を覚えるのは、この普遍性に尽きるのかもしれない。
それは映画の銀幕も落語の檜舞台も同じ。この先どれだけ世相が変わっても、名作は名作として残り続けるものだと希望が持てる作品だった。
さて、「桂枝之進のクラシック映画噺」は今回で最終回となります。
1年半以上、全19回に渡りお付き合いいただきありがとうございました。
毎月毎月、新たな発見ばかりのクラシック映画の旅はとてもエキサイティングで勉強になりました。
中学時代、エンドーラのような片田舎で、駅前のレンタルビデオ屋に置いてある旧作映画を貪るように見ていた経験が、時を経て連載の企画に繋がるとは、まさに映画か夢のよう。
連載は一区切りですが、私自身まだまだ知らないクラシック映画の世界に今後とも浸っていたいと思います。
またいつかお目にかかりましょう!
文/桂枝之進
『ギルバート・グレイプ』(1993)What's Eating Gilbert Grape 上映時間/1時間58分/アメリカ
舞台はアイオワ州の小さな町エンドーラ。身動きができないほど太った過食症の母と知的障害を持つ弟アーニー(レオナルド・ディカプリオ)の世話に明け暮れるギルバート(ジョニー・デップ)は、ある日、トレーラーで旅する自由な少女ベッキー(ジュリエット・ルイス)と出会い、自分の人生を見つめ直す。ラッセ・ハルストレム監督のハリウッド進出第2作。レオナルド・ディカプリオがアカデミー助演男優賞にノミネートされた。