父の引退試合を観て決めた覚悟
武藤が東京ドームで引退した翌々日の2月23日。
霧愛は、神奈川・川崎市の「川崎東口銀座街」で路上ライブを行った。ギター一本での弾き語りの後、自主制作して販売した初のミニアルバム「LOVE」に収録した曲を歌い、集まった聴衆から大きな拍手を浴びていた。これまでのライブでは歌うだけでMCはほとんどなかった。しかし、この日は父の引退試合に触れ、「武藤敬司の娘」であることを伝えた。そこに22歳で訪れた心の変化があった。
「今までのライブは歌いっぱなしで自分のことはすべて隠していました。だけど、私は武藤敬司の娘として生まれて、おかげさまで恵まれた環境で育ちました。でも、逆にこの22年間で武藤敬司の娘だからこそ、普通の人よりいろんなことがありましたし、経験しました。そのことを話すと歌のイメージが崩れると思っていました。
歌は、受け止めてくださる方の中でイメージを膨らませてほしいんです。だから、そう考えていたんですが、今はその私の思いを伝えなきゃと思ってます。自分のことを話して心を開くと、聴いてくださっている方もちゃんと私に向き合っていただけるという実感が生まれました」
考え方が変わったのは、父の引退試合だった。1984年10月のデビューから日本、米国でトップスターとなった父。しかし、必殺技「ムーンサルトプレス」で両膝に大きなダメージを負い、2018年には両膝に人工関節を入れるまでに至った。
60歳での引退は、股関節の負傷で医師からはこのままプロレスを続けると、日常生活で歩けなくなることを宣告されたから。華やかなリング上だけでなく、リングを下りた過酷な現実もさらしてきた父。その姿に霧愛の心は揺さぶられた。