パキスタンの国民的英雄と戦い、勝利した猪木
「日本の総理大臣の名前を知らないパキスタン人はいますが、猪木さんの名前は誰でも知ってますよ」
そう語るのはパキスタンコミュニティ・ジャパン代表のハフィズ・メハル・シャマスさん(44)。
「亡くなったあの日、パキスタン人のSNSは猪木さんの話で持ちきりでした。パキスタンのメディアもずっと猪木さんのことを報道していた」
さらにパキスタン首相シャバズ・シャリフ氏もツイッターに、
《伝説の日本人レスラー、アントニオ猪木氏の訃報を知り、悲しい。 10年前、ラホールのスタジアムで彼に会ったときのことを鮮明に覚えています。彼は類まれなレスリングの腕前で、全世代を魅了しました。彼のご家族と日本人に、お悔やみ申し上げます》
と投稿、いまもリツイートされ続けている。
どうして異国のレスラーがパキスタンでこれほど愛されているのか。話は1976年にさかのぼる。
この年の6月26日に、猪木さんはボクシング世界チャンピオンのモハメド・アリと「異種格闘技戦」を行って引き分け、世界的な注目を集めた。そしてその勢いで12月にパキスタンを訪れた。パキスタンの国民的英雄であるレスラー、アクラム・ペールワンと対戦するためだ。
「当時はパキスタンでもプロレスが大人気だったんです。とくに北東部のパンジャブ地方の人たちが好きなんですね」(ハフィズさん)
そのパンジャブ出身のペールワン選手は1953年のデビュー以来、パキスタンのみならず南アジアや東南アジア、アフリカなどで行われた数多くの試合で勝利を重ね、名声を高めていった。ウガンダの元大統領にして元ボクシングヘビー級チャンピオンのイディ・アミンにも勝利している(ちなみにアミン氏は猪木さんとの対戦が予定されていたが、試合は流れてしまった)。
そんなヒーローであるペールワン選手が、あのモハメド・アリと引き分けた猪木さんと戦う……。試合は大いにパキスタン国民の関心を集めた。そして12月12日。熱狂した大観衆が押し寄せる中、南部カラチで行われた試合では、3ラウンド目に猪木さんが関節技を極め、ペールワン選手の左腕を破壊。ドクターストップとなり、猪木さんが勝利を収めた。
普通ならここで「我が国の英雄を打ち負かした外国人」と猪木さんは嫌われたかもしれない。しかし逆にパキスタン人は、猪木さんを称えた。