田臥世代に課された「3年連続3冠」
この夏もまた、こってりと絞られた。
1998年7月、インターハイ直前に行われたOB戦。大学と実業団の第一線でプレーする能代工を知り尽くした先輩たちが、現役プレーヤーを刺激する。
ゴール下のリバウンドからルーズボールの奪取、オールコートプレス、電光石火の速攻の強化。およそ1週間、勝ちへの執念をひたすらアップデートさせられることで、チームの士気が一層高まっていく。
そこに慢心はない。この年のキャプテン・田臥勇太の言葉が物語る。
「僕らの時代はデータや情報がそんなにあるわけじゃなかったんで。対戦したことがある強豪校なら、少しは対策を立てられましたけど、実際に試合をするまでわからない部分も多いし。相手は失うものがない感じで向かってくるんで、油断なんて全くなかったです」
シューター菊地「感覚が研ぎ澄まされていた」
この年の高知インターハイ。能代工は初戦からギアを上げた。準々決勝までの3試合のうち2試合を100点ゲームで快勝し、迎えた市立船橋との準決勝。相手の2年生センター・鵜澤潤は身長196センチとサイズがあり、なおかつ左利きのためゴール下でリバウンドのポジショニングやタイミングが取りづらい。
そこで有効となったのが、菊地勇樹の3ポイントシュートだった。
1年生からレギュラーだった経験豊富なシューターも、「2年までは水物。打ち続けることでメンタルが鍛えられましたね」と笑う。
「責任感っていうのかな。(加藤)三彦先生からも『お前がシュートを打てるのは、田臥や若月が走ってくれているからなんだよ。そういう感謝も忘れるなよ』って言われていたんで。3年になってその気持ちが強くなりました」
このインターハイ、菊地はシュート感覚が研ぎ澄まされていたのだという。