特集「能代工9冠」無敗の憂鬱 はこちら

25年前、田臥勇太を中心とした能代工バスケ部がもたらした熱狂

JR千駄ケ谷駅の改札を抜けると、眼前には東京体育館が悠然と佇んでいる。いつもなら横断歩道で信号待ちをしたところで5分とかからず到着できるはずが、日を追うごとに入口までの歩幅が狭くなってくる。それどころか、立ち止まってしまうほどの歩調にまでなってしまう。

1998年、年末。

「ウインターカップ」と呼ばれる全国高等学校選抜優勝大会(現:全国高等学校バスケットボール選手権大会)を観戦に訪れた者たちの興味は、ほぼ一点に注がれていた。

秋田県立能代工業高等学校。

全国大会で49回もの優勝を誇る高校バスケットボール界の盟主は、前人未到の偉業を果たそうとしていた。能代工は96年から97年まで、インターハイ(全国高等学校総合体育大会)、国体(国民体育大会)、ウインターカップの3大大会を全て制しており、98年もすでに2冠を獲得していた。つまり、集大成となるこの大会で優勝すれば、「3年連続3冠」の達成となる。

常勝チームを牽引するのは、キャプテンでエースの田臥勇太、スリーポイントシューターの菊地勇樹、守備の要の若月徹である。1年時から主力としてコートに立つこの3人のなかでもとりわけ脚光を浴びていたのが田臥だった。

能代工時代の田臥勇太(写真/共同通信社)
能代工時代の田臥勇太(写真/共同通信社)
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身長173センチ。バスケットボールにおいては小柄に分類される田臥のプレーには、一度目にしたら夢中になってしまうほどの引力があった。ボールが手のひらに吸い付いているような錯覚に陥るほどのハンドリング。トップスピードで相手を置き去りにする閃光の如き速さのドリブル。相手をあざ笑うかのようなノールックパスに大柄な選手をも翻弄する繊細なタッチのシュート……

その全てがしなやかに、流れるように展開され、何より華麗であった。そんなプレーに人々は嘆息を漏らし、虜になる。敵味方関係なく観たくなる選手。それが、田臥だった。