連載「能代工9冠」無敗の憂鬱 はこちら

「能代9冠」からの転落

1998年のバスケットボール界は能代工一色に染まっていた。田臥勇太を象徴としたチームは、インターハイ、国体、ウインターカップの主要大会を3年連続で制する「9冠」という前人未到の偉業を成し遂げたのである。

この輝きの一方で、翌年の物語はあまり語られていない。最たる理由は、全国優勝が一度もなく、無冠に終わったからだ。

田臥たちの1学年下で1年生からベンチ入りメンバーだった堀里也は、キャプテンとしてチームの苦悩を一身に背負ったような存在だった。やや感情的だった性格もあって監督である加藤三彦とそりが合わず、何度も衝突した。

能代工9冠“田臥勇太の次のキャプテン”は今? 屈辱の無冠から指導者として中学日本一になった男が推し進める「部活動改革」_1
現在は中学校の教師を務める堀里也さん
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当時すでに50回の日本一を誇り、勝利を義務づけられたチームにおいて無冠という現実は、人生の痛恨として堀に残った。

心の傷が癒えたのは、中学校の教師になってからなのだという。2016年のジュニアオールスター(現在のU15バスケットボール選手権大会)で、新潟選抜を率いて優勝を果たした堀は、「高校での苦労が報われたような気がした」と語っている。同時にバスケットボールの指導者となった堀には、いつしかこのような理念が息づくようにもなっていた。

「選手や監督、競技に関わる全ての人たちのベクトルが同じ方向じゃないとチームって、うまく機能しないんだなと思いました」

この想いが、堀の意欲を掻き立てた。

文部科学省が教育現場の働き方改革の一環として、公立中学校を対象に部活動の地域移行を推奨していた21年。白新中の監督の堀は、コロナ禍により同校の部活動が「練習は1時間」と定められていたなか全国大会優勝と結果を出した。

くわえて文科省が、23年には休日から段階的に地域と連携した部活動運営をしていく旨を発表していただけに、堀にとっては“新たな行動”を起こす理由づけにもなった。拳に自然と力が入る。握りしめているのは「今の自分が発信していけば説得できるかもしれない」という使命感だ。

この年の冬、堀は当時の大橋伸夫校長に自らのプランを直談判し、「いいじゃない。やってみればいいよ」と快諾を得た。これが、白新中における「部活動改革」の第一歩となった。

主なシステムと活動内容はこうだ。

「部活動」という名目にとらわれず、放課後の活動をレクリエーションと位置づけて生徒に企画させる。ドッジボール、バドミントン、卓球といったスポーツに、美術や科学などの文化系と、生徒が興味を示せば放課後の16時から17時までの1時間、自由に参加できる。各クラブに顧問はいるが指導者ではなく、あくまで教員として現場を見守るのみ。これを、「放課後デザイナー活動」と命名した。

そして、17時から19時までの2時間が部活動の地域移行、「白新ユナイテッド」と銘打つクラブ運営である。ここでは原則、教員を介在させることなく、民間の指導者のもとで選手を技術向上させることが目的だ。