政府の監視か、市場による淘汰か
裁量労働制が本当の意味で広がれば、働かないおじさんは三つの選択肢を突きつけられることになる。
まずは専門性を磨き直し、成果で評価される存在へ「変わる」道。次に、最低限の目標のみを達成し組織に「居残る」道。この場合、評価の透明化が進めば昇給停止や降格は免れない。最後は適応を断念して組織を「去る」道だ。いずれにせよ「何もしない」という選択肢は消滅する。
市場原理が導入され、居場所が失われることは、裏を返せば、自らのスキルを見つめなおし、働きたいと思えるような新たなやりがいや場所を見出す好機でもある。
しかし、これは決してベテラン層の切り捨てを意味しない。JILPT(労働政策研究・研修機構)の研究が示す通り、肝要なのは単なる淘汰ではなく、自発的なリスキリングを通じたスキルの現代化と、円滑な労働移動の支援である。
高市首相が押して、押して、押しまくる「成長のスイッチ」が吉と出るか、凶と出るか。それは、労働者自身が「時間の切り売り」という鎖を捨て、自らの価値で生き抜く覚悟を持てるかどうかにもかかっている。
改革の痛みを超えた先に待つのは、世代を問わず誰もが自律的に働き、価値を正しく評価される、風通しの良い日本社会の姿であるはずだ。
文/村上ゆかり 写真/shutterstock













