「彼の技術じゃ無理だ、って誰もが思いますよ」登山器具もまとも扱えなかった栗城史多がマッキンリーを目指した理由
「ええっ! 登ってしまったか!」登山歴2年の若者・栗城史多がマッキンリーで起こした奇跡

「栗城さんの登山の技術って、どの程度のレベルなんですか?」

「ガイドにも伝わりますよね、『こいつはニセモノだ』って」死後も登山仲間たちが栗城史多さんを語りたがらない理由_1
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「栗城のことですか? あまり話したくないですねえ……」

栗城さんが亡くなって2カ月ほど経った2018年7月。私は彼のエベレスト初挑戦を支えた山の先輩、森下亮太郎さんに電話をかけていた。そのときは、低く発せられたこの言葉とともに取材を断られたのだ。

森下さんははしゃぐタイプではないが、ユーモアを持ち合わせた人だった。私は栗城さんと森下さんが支笏湖畔の凍った滝でトレーニングをした際、森下さんにこんな質問をしている。

「栗城さんの登山の技術って、どの程度のレベルなんですか?」

何とも味わいのある笑みを、森下さんは浮かべた。

「えっ! 言っていいのかなあ?」

あのときの笑顔と受話器から伝わる警戒するような雰囲気が、私の中ではつながらなかった。

「正直、彼にはいい感情を持っていないので……」

北海道の7月は登山のベストシーズンだ。山岳ガイドの森下さんは多忙を極めていた。私は「秋になって時間ができたら読んでください」と、ブログのアドレスを森下さんにメールで送った。

年が改まってダメ元で電話をかけてみると、「会ってもいい」と言う。私のブログを読んで「話してもいいかな」と思ってくれたそうだ。ありがたかった。
 
森下さんの自宅に近い江別市内の居酒屋で待ち合わせた。山の会を主宰している鈴木暢さんが店主で、栗城さんも大学時代に森下さんやG先輩と一緒に何度か訪れたという。酔ってご機嫌になると、スッポンポンになって踊っていたそうだ。