ジジイが絶滅するのは時間の問題?
ひょっとすると昔の「偉そう」に見えた中高年にも心の土台が揺らぐような出来事はあったかもしれない。
しかし、「偉そう」にさせていた社会的土壌があった時代には、その揺らぎを払拭する拠りどころがあった。勤続年数という名の魔法の杖を振れば、誰もがそれなりの「褒美=肩書き」を手に入れられた。ちょっとがんばれば、階層最上階につながる「ジジイの壁」の入場券だって手に入った。この点が、新世代型の中高年との大きな違いなのだ。
「おいおい、突然ジジイの壁ですか?」と口を尖らせている読者もいると思うので、簡単に説明しておこう。
ジジイの壁とは2017年に刊行した拙著『他人をバカにしたがる男たち』で用いた表現である。ここでいうジジイとは、「年齢や性別に関係なく組織内で権力を持ち、その権力を組織のためではなく自分のために使う人たち」の総称で、彼らが築き上げた古い慣習を守る楼閣が「ジジイの壁」だ。
職場では役職者として、家庭では親として年長者が尊重されていた時代は、それなりの役職と権力を手に入れ、階層最上階につながる「ジジイ・ゲート」を通過してしまえば、あとは安泰だった。やがて時代が変わり、組織のスリム化が進むにつれ、役員も大幅に減らされ、「ジジイ・ゲート」は急激に狭まった。「ならばせめても」と忖度スキルを駆使し、社内政治の下請役として、ジジイの壁にぴたりと張り付く粘土層も登場した。
しかし、〝若い社員オリエンテッド〟が最高潮に高まっている今の会社で、権力にしがみついているだけの粘土層社員には居場所がない。たとえ管理職になってもジジイ化するどころか部下の顔色をうかがう日々だ。
さらに、ベルリンの壁より厚く、チョモランマより高く、強度は鉄をはるかに超えると思われていた城壁が、某テレビ局の女子アナとタレントの問題により、ついに限界を迎えようとしている。日本社会からジジイが絶滅するのも時間の問題だろう。













