「阪神に行くとは、いったいどういうことか!」
新井は小学三年生以来、憧れていたゲンの作者との対面に緊張していた。病室に入ると、 中沢はあいさつもそこそこに、いかに自分がカープを愛しているかをとうとうと語り出した。
自分は「広島カープ誕生物語」という漫画を描いたほどにこの地元球団を創立以来、応援してきた。焼野原になった広島の復興のシンボルであり、資金難のときは市民が樽募金で支えた。それなのに広島生まれで広島育ちの選手が阪神に FA 宣言して行くとは、いったいどういうことか!
新井は思わず、身をすくめた。しかし、中沢はすぐに満面の笑みを浮かべた。
「わしは阪神に行ったあと、選手会長になってからの君の動きをずっと見ておった。東日本大震災の年に文科省に掛け合ってシーズン開幕を延期させたこと。そしてアメリカに向けて、不平等な条件を抗議して権利を勝ち取ったこと。素晴らしかった。わしは君を見直した。君はどこへ行っても広島の子じゃ。ずっと応援しとるけえな」
佛圓は中沢との病室での会談の際、手垢でボロボロになった「はだしのゲン」の9巻を持 って行っていた。
「たまたまこれだけが手元に残っていましたが、これは新井君が読み込んだものです」
中沢は表紙を愛しそうになでると「漫画家冥利に尽きるのう」と微笑んだ。
ゲンの9巻にはこんなシーンがある。
ゲンと同じ戦災孤児の夏江という女子が原爆の後遺症で命を落とすと、病院の連絡を受けた役人がやってきて、夏江の遺体を渡してくれたら、立派な葬儀を我々で行ない、そのうえで3万円の香典料を出すと言う。ゲンはこれに激怒する。
「おどれらアメリカの手先になって原爆の資料をせっせと集めている ABCC(米国原爆傷害調査委員会)じゃろう」「おどれら日本人のわしらを助けるためじゃないわい。アメリカの国が原爆をおとされたときの準備にアメリカ人のためにせっせと資料をあつめるだけじゃ」「やっと静かなねむりについたのに死んでまで原爆を落としたアメリカのくいものにさせてたまるか」と怒りをぶつけて追い返してしまう。
はだしのゲンは現在、25の言語に翻訳されて世界中で出版されているが、原爆の悲劇を何も知らないアメリカの若者に読ませようと、初の英語翻訳版を1978年に完成させた編集者の大嶋賢洋氏はゲンの魅力をこう分析している。
「原爆投下は明らかに国際法違反で人類に対しての犯罪。でも漫画の中ではゲンだけが唯一アメリカに対して『お前たちなんでことをやったんだ!』と真っ当に怒っている。その真っ当に怒ること自体が日本政府としては今は困ったものだと思っている」