「買ったつもりもないのに次々と苦労に襲われるんです(笑)」 

戦後 GHQ の支配の下で言論までも統制されていく中、こざかしい日本の大人たちは保身と出世欲で同胞の遺体を平気で人体実験用に差し出すが、ゲンは、臆さず不条理に怒り、正論をぶつける。それは政治的な反米思想などではなく、7歳で父を亡くした体験から得た、不条理を放置せず真っすぐに生きる考えに根付いたものであった。

中沢は、文科省やアメリカに向かって筋の通った主張を続けた新井にゲンの姿を見たに違いない。新井は今、振り返る。

「若い頃の苦労は買ってでもしろと言われますが、僕は特に買ったつもりもないのに次々と苦労に襲われるんです(笑)。でも選手会の会長は本当にやって良かったと思います。しんどかったですけど、あれほど社会人として勉強になった経験はありません」

大学時代はエリートとは程遠く、打率.241、本塁打2本でドラフト6位での入団、FA で阪神移籍後は、地元のファンから手ひどいバッシングを受けた。そして選手会会長の任期中に起きた未曾有の大震災と原発事故、さらには WBC を直前に控えた米国との待ったなしの交渉。

それでも新井はこの2011年に初の打点王を獲得している。激務が続き練習どころか、睡眠もろくに取れないシーズンだったが、「選手会の仕事を不振の言い訳にしたくなかった」。

踏まれても踏まれても真っすぐに。新井は麦になった。

写真/共同通信社
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取材・文/木村元彦