④ 自分が悪いとは思わない

職場を腐らせる人を変えるのが困難な一因として、自分が悪いとは思わないことが挙げられる。第1章で紹介した事例の多くは、周囲が注意しようが、辟易しようが、同じことを繰り返している。これは、受信器の感度が少々低いせいではないかと疑いたくなるが、それだけではないだろう。自分の落ち度を決して認めたくなくて、自己正当化のメカニズムが働くせいでもある。

自己正当化は嘘よりも厄介だ。なぜかといえば、嘘をついている人には、その自覚があるが、自己正当化は知らず知らずのうちに行われ、その自覚がないからだ。当然、自分が悪いとは思わないし、反省も後悔もしないので、同じことを繰り返す。

この傾向、つまり反復強迫は、自己正当化が功を奏して周囲から許容されたり黙認されたりした過去の成功体験が大きいほど強まるように見受けられる。

もっと厄介なのは、自分には「例外」を要求する権利があるという思いが確信にまで強まっているタイプであり、フロイトは〈例外者〉と名づけた(「精神分析の作業で確認された二、三の性格類型」)。〈例外者〉は、法律あるいは世間一般の常識では許されないようなことでも自分だけは許されると思い込みやすい。

もちろん、通常はそんな「例外」を認めてもらえるわけがない。そこで、自分だけが「例外」を要求することを正当化する理由が必要になる。それを何に求めるかというと、ほとんどの場合自分が味わった体験や苦悩である。

このような体験や苦悩の責任は自分にはないと〈例外者〉は考える。必然的に、自分には責任のないことで「もう十分に苦しんできたし、不自由な思いをしてきた」のだから、「不公正に不利益をこうむった」分、「特権が与えられてしかるべきだ」との認識を持ちやすい。

「感情で動く」「自分が悪いとは思わない」「決して謝らない」…なぜ“職場を腐らせる社員たち”は自分を曲げないのか?_2
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ここで重要なのは、本人が味わったと主張する体験や苦悩が、客観的に見てどうかはあまり意味がないことだ。〈例外者〉は、自分の体験や苦悩が耐えられないほどつらく、過酷だったので、自分だけは「例外」を要求しても許されると思い込んでいる。

だから、普通の人なら遠慮するようなことでも、自分だけは実行する権利があり、許されて当然と考える。あるいは、みなに課されている義務であっても、自分だけは免除してほしいと要求する。その結果、職場を腐らせることを繰り返し、いくら迷惑をかけても、自分が悪いとは思わない。もちろん、決して謝らない。

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職場を腐らせる人たち(講談社現代新書)
片田珠美
職場を腐らせる人たち(講談社現代新書)
2024/3/21
990円(税込)
192ページ
ISBN: 978-4065351925

根性論を押し付ける、相手を見下す、責任転嫁、足を引っ張る、自己保身、人によって態度を変える……どの職場にも必ずいるかれらはいったい何を考えているのか?

これまで7000人以上を診察してきた著者は、最も多い悩みは職場の人間関係に関するものだという。

理屈が通じない、自覚がない……やっかいすぎる「職場を腐らせる人たち」とはどんな人なのか? 有効な対処法はあるのか? ベストセラー著者が、豊富な臨床例から明かす。

「長年にわたる臨床経験から痛感するのは、職場を腐らせる人が1人でもいると、その影響が職場全体に広がることである。腐ったミカンが箱に1つでも入っていると、他のミカンも腐っていくのと同じ現象だ。

その最大の原因として、精神分析で「攻撃者との同一視」と呼ばれるメカニズムが働くことが挙げられる。これは、自分の胸中に不安や恐怖、怒りや無力感などをかき立てた人物の攻撃を模倣して、屈辱的な体験を乗り越えようとする防衛メカニズムである。

このメカニズムは、さまざまな場面で働く。たとえば、子どもの頃に親から虐待を受け、「あんな親にはなりたくない」と思っていたのに、自分が親になると、自分が受けたのと同様の虐待をわが子に加える。学校でいじめられていた子どもが、自分より弱い相手に対して同様のいじめを繰り返す。こうして虐待やいじめが連鎖していく。

似たようなことは職場でも起こる。上司からパワハラを受けた社員が、昇進したとたん、部下や後輩に対して同様のパワハラを繰り返す。あるいは、お局様から陰湿な嫌がらせを受けた女性社員が、今度は女性の新入社員に同様の嫌がらせをする。

こうしたパワハラや嫌がらせの連鎖を目にするたびに、「自分がされて嫌だったのなら、同じことを他人にしなければいいのに」と私は思う。だが、残念ながら、そういう理屈は通用しないようだ。」ーー「はじめに」より

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