なぜ職場を腐らせる人は変わらないのか
まず肝に銘じておかなければならないのは、職場を腐らせる人を変えるのは至難の業ということである。ほとんど不可能に近いといっても過言ではない。その理由として次の四つが挙げられる。
①たいてい自己保身がからんでいる
②根底に喪失不安が潜んでいる
③合理的思考ではなく感情に突き動かされている
④自分が悪いとは思わない
本記事では①と②についてそれぞれを解説する。
① たいてい自己保身がからんでいる
平社員が叱責されてパワハラと騒ぐのも、不和の種をまくのも、責任転嫁するのも、あるいは上司が部下に過大なノルマを押しつけるのも、根性論を持ち込むのも、相手によって態度を変えるのも、煎じ詰めればわが身を守るためだろう。
少なくとも本人は、そうすることが自分の身を守るためになると思っており、たいてい自己保身がからんでいる。
もちろん、自己保身のためと思っているのは本人だけで、長い目で見れば必ずしもそうはならず、むしろ逆効果の場合も少なくない。たとえば、過大なノルマを押しつけたり根性論を持ち込んだりして、部下に発破をかければ、業績があがって上層部から認められ、わが身も安泰と上司は思っているのかもしれないが、実際にはそんなに単純ではない。
過大なノルマを押しつけられた部下が窮余(きゅうよ)の一策として不正に手を染め、それが発覚して大問題になれば、管理責任を問われるかもしれない。場合によっては、不正を指示したのではないかと疑われかねない。
また、根性論を「バカの一つ覚え」のように繰り返す上司に嫌気が差して、部下がどんどん辞めれば、日常業務を回すことさえできなくなり、業績うんぬんどころではなくなるかもしれない。
こうしたリスクが伴うことをあらかじめ想定しておかなければならないはずだが、当の本人は一切考えておらず、発破をかければかけるほど、部下が奮起して頑張り、それに比例して業績もあがるはずと思い込んでいることが多い。このような単細胞につける薬はない。
そもそも、自己保身願望は防衛本能に由来し、人間が動物である以上、誰にでも多かれ少なかれ備わっている。だから、本人が追い詰められ、ピンチと感じるほど、知らず知らずのうちに自己保身願望が頭をもたげる。そして、自分を守るためになると思えることなら何でもやらずにはいられない。手負いの獣が死に物狂いで戦うのと似ている。
それが結果的に他人を傷つけたり、周囲に迷惑をかけたり、場合によっては法に触れたりする事態を招いても、「自分を守るためには仕方がない」と正当化する。
「自分を守るためには何でもする」という必死さが「自分を守るためなら何をしてもいい」という理屈に転換されることだってあるだろう。そうなれば、罪悪感も良心の呵責も覚えずにすみ、心穏やかでいられる。
自分から喧嘩を仕掛けておきながら「自分を守るためには仕方がない」と正当化する人と同じ心理が働くわけで、自分が悪いとは思わない。当然、反省も後悔もしないわけで、こういう人を変えるのは至難の業だ。だからこそ、自己保身がからんでいると実に厄介なのである。