「〈いい子〉の向こう側へ」高瀬隼子×ひらりさ『いい子のあくび』刊行記念対談_1
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「〈いい子〉の向こう側へ」高瀬隼子×ひらりさ『いい子のあくび』刊行記念対談_2
いい子のあくび
著者:高瀬 隼子
定価:1,760円(10%税込)

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「おいしいごはんが食べられますように」で第一六七回芥川賞を受賞した高瀬隼子さん。先月、受賞第一作となる『いい子のあくび』が刊行されました。表題作に加えて二作の短編が収録され、いずれも女性主人公の一人称の語りによって、日々蓄積されていく違和感や行き場のない感情が描き出されます。
 女性として生きることを深い眼差しで見つめ思考するエッセイ集『それでも女をやっていく』を刊行されたひらりささんをお相手に、互いの作品の感想から社会や周囲の人間に対して抱く感情についてまで、広く語っていただきました。

構成/編集部 撮影/藤澤由加

ひらりさ 小説を読んでいると、書いた作家その人に対して怖さを感じることがあります。読んでいる自分の浅いところややましいところを見透かされているような気持ちになるというか……。高瀬さんの新刊『いい子のあくび』も人間の複雑な内面が書かれた作品なので、今日は怖いなと思いながら対談の場にやってきました(笑)。
高瀬 ありがたい気持ちと悲しい気持ちが同時に湧きました(笑)。
 ひらりささんには『群像』で『おいしいごはんが食べられますように』の書評を書いていただいて、その節はありがとうございました。でも、当時はまだお会いしたことがありませんでしたね。
ひらりさ そうですね。
高瀬 初めてお会いしたのは、たしか去年の十一月の文学フリマの時でした。ひらりささんがブースを出されていたので、喜んで買いに行ったら売り切れていて……。
ひらりさ そうです、そうです。しかも高瀬さん、その時に名乗ってくれなかったんですよね。いきなりお名前を伺うのも失礼かと思って「出店されている方ですか」と聞いたら「そうです」と。「どちらのブースですか? ああ、『京都ジャンクション』。それなら、高瀬さんですよね?」と私が問い詰めた経緯がありました(笑)。
高瀬 こっそり買いに行けば、ばれないと思ったんです(笑)。その後、違う日に二人でお茶をしました。読書の話やひらりささんが行っていらしたイギリスの大学院の話など色々喋った記憶があるのですが、今日改めてお互いの作品について話せるのがうれしいです。

まだちゃんと怒っている

ひらりさ 「いい子のあくび」の初出は二〇二〇年の『すばる』五月号ですよね。書き始めたのはいつ頃だったんですか?
高瀬 二〇一九年の秋に「犬のかたちをしているもの」ですばる文学賞を受賞したのですが、その年の末に第一稿を書き上げました。その後編集者とのやり取りを重ねて、載ったのが二〇二〇年の五月号でした。
ひらりさ 今回の単行本刊行が決まる前から、書評家の倉本さおりさん経由で「いい子のあくび」が面白いという話は聞いていたんです。私は『水たまりで息をする』で高瀬さんを知ったので、読みたい……と歯軋りしていました。「ぶつかったる。」から始まるやばい小説があるよ、とだけ聞いてて(笑)。高瀬さんは一体どんなふうにして「いい子のあくび」を書き始めたんでしょうか。
高瀬 そうですね……。当時、無事にデビューはできたけれど、このまま二作目を出せずに消えるのではないかという強迫観念がありました。デビュー作だけが本になって、刊行点数1の作家になるに違いない、と。だから何とかして書かなければと思って、ひとまずテーマや粗筋を決めずに書き始めたんです。書きながら考えていた。そういう書き方をしていたせいで、日常のむかつきが作品に組み込まれて膨らんでいったのだと思います。毎日「まじ歩きスマホ死ねよ」と思っていたので(笑)。
ひらりさ 高瀬さん、一度自分の身に起きたことは忘れなそうですよね。
高瀬 そうなんです。一度何かにむかつくと、執念深くうらみ続けるタイプですね。絶対許さない、来年も許さない(笑)。
ひらりさ 来年も許さないっていいですね。昔、村田沙耶香さんと漫画家の米代恭さんの対談を構成したのですが、その時お二人が「嫌な人のことをすごく考えてしまう」という話で盛り上がっていたのを思い出しました。「嫌な人」ってほんとうに嫌なんですけど、創作をする上では貴重なイメージソースでもあるように思います。
高瀬 そうかもしれないです。この間ネットで「人生の時間は有限だから、自分の大切な人や好きなことについて考える時間を増やしたほうがいい」という記事を見ました。その通りだなと思ったと同時に、いや、自分には絶対できないなそれ、と(笑)。一日の起きている時間の七、八割くらいは嫌なことを考えている気がします。
ひらりさ 個人的に、高瀬さんの作品のうちでは『おいしいごはんが食べられますように』が初めにピンと来て、それをきっかけに他作品の見え方がクリアになった感覚がありました。「いい子のあくび」が雑誌に載ってから単行本化するまでには三年ほど間が空いて、その間に何作も書き続けてこられたわけですが、今回読み直してみていかがでしたか?
高瀬 まずは当時の自分の文章の下手さに衝撃を受けました。「言った」と「思った」ばかりで、これはやばいぞと。ゲラで細かく修正しました。ただ今回単行本化するにあたって、内容自体は大きくは変えていません。三年前の自分の怒りを受け取って、「ああ、私はまだこのことに対してちゃんと怒っているな」と思い返しながら読みました。
ひらりさ それはほっとした感じですか。
高瀬 いえ、「しんど」という感じです(笑)。この二、三年の間にさらに別の怒りも蓄積されているのに、三年前に抱えていた怒りもしっかり自分の内に残っているから、しんどいぞと。
ひらりさ しんどい思いはしてほしくない……と一応言いつつ(笑)、その二重のしんどさが功を奏している作品だとも感じました。デビュー後一作目というよりも、すでにキャリアを重ねた高瀬隼子だからこそできる表現、を味わえる小説だなと。