新たな帝国主義と究極自由主義のはざまで
田中 「新たな帝国主義と自己利益を追求する究極自由主義。そのいずれでもない第三の道を示す希望の書」。著書である『テクノ専制とコモンへの道 民主主義の未来をひらく多元技術PLURALITYとは?』を拝読して、私は以上の推薦の言葉を寄せました。まず頭に浮かんだのは、この本はテクノ専制でもリバタリアニズムでもない「第三の道」を示す希望の書であると。
次に「大国が小国を吸収する新たな帝国主義」という言葉が出てきた。実際の本の中では、「統合テクノクラシー」という言葉で説明していらっしゃるけど、それがわかる人は私の世代ではいない。
「帝国主義」というと、今のトランプ現象とかプーチンであるとか、習近平のような「かつての帝国主義」を思い浮かべる人が多いんです。それと全く違うわけではないけれど、「統合テクノクラシー」は、ITの技術を介したデジタルテクノロジーの中での話だから、正確に言うと違う。でも、私の世代の人たちにもわかっていただくために、「新たな帝国主義」という言葉を使いました。
そして最後に「際限なく自己利益を追求する究極自由主義」という言葉。これも本の中では「企業リバタリアニズム」という言葉を使っていらして、この言葉も国際情勢に関心のない方はわからない。ただ、現在の選挙の状況などを見ていて、「自由主義の究極というものはどこに行ってしまうのか?」ということを懸念している人は非常にたくさんいて、それはかなり高い年齢層にまで及んでいます。ですから「究極自由主義」という言葉を使いました。
李 「新たな帝国主義」という言葉は、本当に適切にパラフレーズしていただいたと思っています。最近発売されたユヴァル・ノア・ハラリの『NEXUS 情報の人類史』(邦訳:上下巻、河出書房新社)という本にも書かれているのですが、やはり「デジタル帝国主義」という現象が起こりつつある危惧はありまして、昔の帝国主義が原材料とか農作物を被植民地から収奪しているタイプだとすると、新しいテクノロジーを使った帝国主義は、データを収奪している。
それによって自分たちの国を豊かにする代わりに、被植民地は貧困のままにとどめておく。現在、そういう事態が起こっているので、「帝国主義」は時宜にかなった言葉ですし、「自由主義」に関しても、今回の私の著書で使っている「企業リバタリアニズム」という言葉は、ひと握りの経営者が「自分たちで国を作ろう」みたいな、海上都市を作るだとか、民主主義から脱出するところまで行き着く自由主義を指すものです。ですからそこに「究極」という言葉がつくのは正確だと思いました。
田中 「新たな帝国主義」と「究極の自由主義」、この二つが今まさに目の前に展開されていて、この書籍はそのどちらでもない「第三の道」を示している。そしてその第三の道とは、「多元性」と「デジタル民主主義」という言葉に象徴されている。
実際の状況はもうすこし複雑で、たとえばイーロン・マスクは自己利益を追求するリバタリアンだと思うけれども、じゃあ、そのイーロン・マスクの言うことをトランプは聞くのかというと、聞いてないですよね。マスクの主張とは随分違うことをやっている。だから、そこはどうなんだろうって。リバタリアンの中での分裂が起こっているのか? 今日の本題ではないですけれど。
李 イーロン・マスクとトランプが喧嘩しているという話はその通りで、なぜかというと、リバタリアンたちは確かに、トランプに代表される右派とか保守派と共闘はしているんです。ピーター・ティールもトランプに莫大な資金を援助している。でもリバタリアンたちは、トランプを支持している一部の保守派や、あるいは福音派を馬鹿にしているんです。
リバタリアンは、「アメリカの伝統を守ろう」とか「キリスト教を中心とした国家をつくろう」とかの「連帯」が嫌いな人たちなので、「アメリカ人で団結しよう」みたいな動きは軽蔑して、そこで亀裂が生じているんです。だから関税をイーロン・マスクが批判しているのは、単純に「自分の会社が儲からないから」ですけど、トランプの関税政策を支持している保守派は、関税を課すことによって「アメリカの純粋性や一体性が強まる」と思っている。ここはもう対立して必然なんです。だからその点では、これからリバタリアンと保守派の亀裂がどんどん広がっていくとは思います。