前編 19歳の春、家賃2万円の四畳半から始まった「たま」結成への道

さくらももことの思い出

【漫画あり】紅白出場から32年、漫画で話題! 今も再結成が望まれる「たま」。元メンバーは「もともと商業的に売れると思ってやったバンドじゃないんで…」_1
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――「たま」としてツアーで全国をまわるようなこともあったと思うんですけど、そういう時のことで覚えていることはありますか?

もともと友達から始まってバンドになってるから、ライブが終わって、スタッフの人たちと打ち上げをして、特にホールをまわる場合はスタッフも大勢いたんですけど、だいたいスタッフさんも次の日が早いんで一次会で終わって。2次会はメンバー4人だけになって赤ちょうちんの飲み屋に行って飲んでるっていうことが多かったですね。

――もともと飲み友達でもあるわけですもんね。

あと、知久(寿焼)君はやらないんですけど、他の3人は麻雀が好きだったんで、そこにもう一人スタッフから麻雀仲間を呼んで、徹夜で麻雀して、移動のバスの中で寝てツアーをまわるということはありましたね。

――ライブの後に徹夜で麻雀って、本当の仲良しですね。「たま」というと、さくらももこさんがすごく「たま」ファンで、エッセイにも名前を出されたりしていた記憶があるのですが、さくらさんとの思い出などはありますか?

普通に友達だったんで、うちの夫婦と、さくらももこさんの当時の夫婦で、お互いの家に泊まりに行ったりとかしてました。

――さくらさんはどんな方でしたか?

一番近いのは泉ピン子さんですね(笑) 本当におしゃべりが止まらなくて、結構仕事が忙しくて寝てないはずなのにずっとしゃべって、すごいパワーだなと思いましたね。ちびまる子ちゃんが大人になったらっていうそのままで。
結構健康オタクだったから、まさか自分たちより早く亡くなるとは思わなかったですね。