松下幸之助が残した言葉はテレビにも刺さる
ただ、文句を言いながら見るテレビはおもしろいだろうか。
松下幸之助はかつてこう言った。「物事はつまらないと思えばつまらなく、おもしろいと思えばおもしろくなる。見方を柔軟に変えて、いつも新たな気分で歩みたい」と。
テレビ番組も最初からつまらないものだという前提で見れば、つまらない部分ばかりが目に付く。しかしおもしろさを探そうというスタンスで見れば、パッと見ではわからなかった部分が見えてくる。
見方を柔軟に変えてみれば、1000回やっている番組にも新たな発見はあるし、ど深夜の誰も見ていないような番組にドはまりすることだってあるかもしれない。
これまでもこのコラムでは、坂下千里子の何歳になっても学ぶ側から卒業しない力や、芦田愛菜はよく考えたらCM出てない時間がないんじゃないかなど、ふとした気付きを考察してきた。
我ながら馬鹿馬鹿しいと思いながらも、テレビがついているとなんだかいろんなものが気になってスマホにメモするのが習慣だった。
コラムにしてないものでも「ビールのCM、プハーってやるの最近減ってない?」とか「タコとイカ、並び称されるけどこの10年くらいブームになってるものほとんどイカじゃない?(イカゲーム、ダイオウイカ、イカちゃんなど)」とか。
はたまた「テレビにおけるオタクの代名詞、まだしょこたん(中川翔子)がかなり独占してるけど、それで大丈夫?」とかメモには雑多な考察が並ぶ。こんなことを考えながら見るテレビはとても楽しい。
テレビっ子こそ「テレビの可能性」を信じて楽しもう
外で溜めたストレスをテレビに文句を言うことで発散している人もいるのだろうし、それ自体は否定しないけど、テレビをおもしろがることでストレスが発散できるならたぶんそのほうが健全だ。
私はつねに文句を吐きながらテレビを見る父が嫌いだった。
そして自分は正反対の姿勢でテレビを見ようと思った。
「テレビ離れ」や「地上波はオワコン」などと世間は言うが、作り手も演者もまだまだテレビの可能性を諦めていない。いろいろと制約が強まっていく中で、それでも日々違う角度で世の中を楽しくできないかと提案し続けている。
最近の作り手のインタビューでは、想定していない層まで届く地上波テレビの特性を考え、逆に偶然見た視聴者に「なんだこれ」と思ってもらえるものを作っているという人や、コンプラの厳しさを逆手にとった番組作りをしている人もいる。
私は一視聴者にすぎないが、テレビっ子の端くれとして、テレビの可能性をまだ信じている。
視聴者がおもしろいと思って見る限り、テレビはもっとおもしろくなる。
みんなも、一緒に楽しくテレビ見ようぜ。
文/前川ヤスタカ イラスト/Rica 編集協力/萩原圭太 画像/shutterstock