クリエイターでありながらヒットメーカーでもある松本人志

まず大前提として、私のスタンスは松本人志のファンであるということです。その上で、個人的な思いも含め松本さんについて語りたいと思います。

ビジネスの世界では、クリエイターとヒットメーカーはなかなか両立しないと言われています。クリエイターは自分の感覚が命。運良くその感覚が時代を射抜いているうちはよいのですが、少しでもその感覚が時代の求めるものとズレるとヒットは望めません。
そのため私は、「視聴率はテレビマンがどんなに欲しくても、自分自身で取りにいけるものではなく、最終的にお客さん(視聴者)が決めるもの」「自分がやりたいことを優先させるのではなく、人々が潜在的かつ普遍的に求めているものを彼らの代弁者となり見つけ出し具現化する」といったロジックを掲げ、数々のテレビ番組を手掛けてきました。

なので、今回私が「松本人志」を語るのはちょっと違うんじゃないかととらえる人は多いかもしれません。たしかに私が「客観的にヒットを計算するタイプ」に対して、松本さんは「自らの笑いをとことん追求するクリエイタータイプ」だというのはその通りかもしれません。
ただ、ヒットメーカーとクリエイターはまったく異なるものではないとも思えるのです。複数の当たりを生み出すヒットメーカーは、視聴者が潜在的に求めていることを察知する力が必要だと言われています。

松本人志(写真/産経新聞社)
松本人志(写真/産経新聞社)

でも、松本さんはそんな理屈など超越して『笑ってはいけない』シリーズ(日本テレビ)、『人志松本のすべらない話』『IPPONグランプリ』(ともにフジテレビ)といった大人気コンテンツを生み出した天才的ヒットメーカーでもあるのです。私と松本さんは一見、相容れないように思われるかもしれませんが、少なくとも私はクリエイターでありながらヒットメーカーでもある松本さんに対して大いなるリスペクトを感じている「視聴者としてひとりのファン」なんですね。

ダウンタウンは自分たちの感覚を大切にしつつも、一般の人々が面白いというものを経験則のなかで掌握しながらどんどん進化していったコンビだと思います。例えばそれは、音楽なら松任谷由実さんやサザンオールスターズがそうでしょうし、映画なら宮崎駿監督やスティーブン・スピルバーグ監督がそうだと思います。

アートの世界はとことん自分のやりたいことを追求すればいいかもしれません。しかし、いわゆるエンタメと言われる世界においては、お客さんのことを考えなければいけません。大衆の気持ちと波長が合わなければ支持されることはない。

松本さんが根を下ろす笑いの世界はその最たる例で、ウケなければ人気者になることはできません。「ウケる」というのは文字通り、大衆から支持を受けているということでもあると思います。センスがいいとか、カリスマ性があるとか、前衛的だとか、それだけで大衆から支持を受けることは決してできないのです。