デビュー直前の解雇…

1962年10月から12月まで、キース・リチャーズとブライアン・ジョーンズは毎日8時間以上もレコードを聴いて、それを自分たちの楽器演奏で再現させようとしていた。

それは想像以上に厳しい作業だった。

彼らが手本にしていたアメリカのブルーズ・ギタリストたち、ロバート・ジョンソン、マディ・ウォーターズ、エルモア・ジェームス、チャック・ベリーらは、二人が見たこともない方法で演奏していたからだ。

悪戦苦闘する二人を見ていたイアン・スチュワート(愛称ステュ)は、こんな言葉を残している。

「二人がやろうとしていたのは、ギターを二本同時に演奏することだった。一本が主旋律を弾いて、もう一本がリズムを刻むのではなくて、キースとブライアンは二人がもっと一体になって、交互にリードをとって、ソロも交代でやって渾然一体にしようとしていた」

1962年にバンドを結成したローリング・ストーンズ。写真は1969年に撮影されたもの 写真/Shutterstock
1962年にバンドを結成したローリング・ストーンズ。写真は1969年に撮影されたもの 写真/Shutterstock
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この言葉に、ローリング・ストーンズの音楽の本質がある。

ピアニストとしての才能に溢れたステュは、1962年にストーンズが結成された時からのオリジナル・メンバーで、それもブライアンとともに中心人物だった。

しかし、レコード・デビューする直前の1963年5月、マネージャーのアンドルー・オールダムから、「バンドの雰囲気にルックスが合わない」という理由で解雇されてしまう。

ストーンズのエンジニアを長く務めたプロデューサーのグリン・ジョンズは、ステュの親友で音楽仲間、そしてルームメイトでもあった。

ステュが解雇されたことについて、ジョンズは自伝『サウンド・マン』のなかでこう語っている。

「彼がその通達を受けた時、私はちょうどデッカ・スタジオの隣の部屋にいた。私がその決定に対する嫌悪の面を伝えると、ステュは意外にも『大いに満足している』と言った」

ステュは「俺はそもそもポップスターとして暮らすという考えには、これっぽっちの魅力も感じていない。それにあいつらは、もの凄い成功を収める気がする、だから俺にとっては、世界を見て回るのに打ってつけの機会になると思う」とジョンズに話した。