「2時間ドラマ」事始

刑事ドラマの歴史において忘れてはならない重要な出来事があった。「2時間ドラマ」の始まりである。刑事ドラマの源流のひとつに映画があったことは最初に述べたが、2時間ドラマはまさにテレビにおける映画を目指したものだった。

いまでは少なくなったが、1960年代、各民放キー局には洋画を放送する2時間のレギュラー枠が揃ってあり、ゴールデンタイムに欠かせない看板番組になっていた。

なかでも1966年にスタートしたNETの『土曜洋画劇場』は老舗的な番組で、解説役の映画評論家・淀川長治の流暢かつ見事な解説、番組最後の「さよなら、さよなら、さよなら」という3度繰り返す愛嬌たっぷりの挨拶によって多くの視聴者に長年親しまれた。

映画評論家と言えばこの人! と言っても過言ではないほど愛された淀川長治
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映画をテレビで放送する同じような番組はアメリカにもあった。そしてそこから偶然の産物とも言える、ひとつの新しいスタイルのドラマが誕生する。それが、2時間という映画に匹敵する長さのオリジナルドラマだった。

始まりは、放送する映画のストックがなくなったときの穴埋めが必要になったことだった。

そこでテレビ局が映画会社にオリジナルドラマをつくらせたところ、思いがけず高視聴率を獲得した。そのひとつが、まだ20代の若者だったスティーブン・スピルバーグが監督した『激突!』(アメリカでは1971年放送)である。

トラック対セダンのスリルとサスペンスに満ちたカーチェイスを描いた斬新な作品だったが、それを日本でも1975年1月にNETが『日曜洋画劇場』(『土曜洋画劇場』から放送枠の移動でタイトル変更したもの)で放送したところ22.1%という高視聴率を記録。

低予算ながらスピルバーグの名を知らしめた『激突!』
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