周りが就活する中、オーストラリアへの留学を決心
――CRAZY COCOさんは、小さい頃からCAを目指していたんですか?
CRAZY COCO(以下、同) 全然そんなことはなくて、子どもの頃は特に夢もなく、ただ漠然と「楽しくふざけながら生きていけたらいいな」と思っていました。学校では活発なお調子者で、毎日友だちとワイワイ過ごしていましたね。
ただ、母が自営業をしていたので、その姿を見て育った影響もあり、当時は「社長になりたい」と口にしていたみたいです。
でも、現実的に考えると、自分がそこまでの覚悟を持って働くイメージはなくて。大学生になる頃には、「普通に卒業して、OLとして働いていくんだろうな」と思っていました。
――お母さんはどんなお仕事をされていたんですか?
大阪・北新地でラウンジのママを40年間やっていました。
小さい頃、母は仕事の内容をくわしくは教えてくれなくて、私が理解できる年齢になるまでは「社長をやっているよ」とだけ伝えてくれてました。だから、子どもの頃は「お母さんって忙しい社長さんなんだな」と思っていましたね。
成長して母の仕事を知ったとき、「浮き沈みの激しい世界で、ずっとお店を続けているなんて、かっこいいなぁ」と思いました。
ただ、自分が同じ仕事をできるかと言われると、それは難しいなと。母は毎日何百件もメールを送り、土日はゴルフの接待、夜は遅くまで仕事……そんな生活をずっと続けていたので。
でも、母は家族をとても大切にしていて、アメリカから親戚が来るタイミングに合わせて私に学校を休ませ、みんなで旅行に行くことも日常茶飯事でした。その結果、休みすぎて授業についていけなくなることもありましたけど(笑)。
――初めて海外へ行ったのはいつですか?
私が中学2年生の4月に父が亡くなり、同じ年の8月に母といとこと私の3人でサイパンへ旅行したのが、初めての海外でした。
父は、私が2歳のときにALS(筋萎縮性側索硬化症)という病気を発症し、私が物心ついた頃にはすでに寝たきりの状態でした。
小さい頃から「海外に行ってみたい」という気持ちはずっとあったんですが、父が生きている間は実現しませんでした。
やっぱり、父を連れて海外旅行に行くとなると、現地で何かあったときの対応や病院のことを考えると、ものすごくハードルが高くて…。
――大学時代はオーストラリアに留学されていたそうですね。留学を決めたきっかけは?
そもそも、私の通っていた大学は、外国語に特化していたわけではなく、そういうカリキュラムがまったく充実してなかったんですよ。
でも、大学2年生のときに1ヶ月間の短期留学プログラムがあって、ロサンゼルスに行きました。ただ、1ヶ月だけでは英語力が全然伸びなくて……。
「いつか長期留学できたらいいな」と思いながらも、大学生活はアルバイトに明け暮れ、あっという間に大学3年生になってしまい……。
周りが就活を始める中、私はやりたいことが見つからず、「このまま9時から17時の仕事をするのかな?」とかいろいろ考えていたんです。最終的に「やっぱり今のうちに英語をしっかり学びたい」と思い立ち、大学を1年間休学してオーストラリアへ留学することを決めたんです。
休学することで卒業まで5年かかることになりましたが、それよりも「英語を自分の武器にしたい」という思いが強かったですね。