「共通点」ではなく「相違点」に学ぶ

成功例として高橋財政を引き合いに出す人たちは、現代との「共通点」ばかりを強調し、さも同じことをすれば日本経済が回復するかのように主張する。だが、本当に重要なのは「違い」である。

まず、1990年代の後半以降、日本の経済構造は大きく変わった。

経済成長が外需への依存を強め、生産設備が海外にシフトし、円安になっても輸出が伸びない状況が生まれた。つまり、高橋財政の「財政出動」と「輸出」というふたつのエンジンのうち、後者のエンジンが機能していないのである。

金融政策のフレームワークも正反対だ。高橋財政では国債が「売却」された。ところが現代の金融政策の中心は国債の「買い入れ」だ。

景気が本格的によくなれば、物価が上がる。インフレとはお金の価値が下がる現象だから、世の中に出回るお金の量を減らすことがその対処法になる。つまり、日銀が国債を売却して銀行からお金を吸い上げれば、「市中の貨幣量」が減るという理屈だ。そうすれば、出回るお金の量が減って、お金の価値が上がり、インフレは抑制される。

だが、そうすると国債は値下がりしてしまう。銀行も国債を一気に手放すだろう。そうなれば、国債は大暴落する。だから、インフレになっても日銀は国債を売れない。

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直近のインフレで欧米の中央銀行が利上げ色を強めている。それなのに、日銀は金融緩和の継続を訴え、利回りを指定したうえで、無制限に国債を買い入れる「指値オペ」を実施した。国際潮流に反する動きだが、このように「買い入れ」の枠組みでは、高橋財政のようなあざやかな政策転換はできないのだ。

デフレ下であれば、国債買い入れ、資金の供給は、正当化される。だが、物価が上がり、ウクライナ侵攻以降、さらなる円安、さらなるインフレが懸念される。このような状況のなかで中央銀行が国債を買い続けるのは異様でさえある。