「民主主義の死」という最大の失敗に学べ
問題の本質は、「税と給付の関係」を断ち切ることの危険性にある。
なぜなら、ムダ使いが国民の負担の増大に結びつかないとすれば、「なにが必要で、なにが不要なのか」「どの税で、誰に、どのくらいの負担を求めるか」という民主的な対話がいらなくなるからである。
高橋財政期の政治は、まさにこの問題を浮きぼりにしていた。当時、5・15事件や2・26事件のようなクーデターやその未遂事件が起こり、天皇機関説事件や陸軍パンフレット問題のような民主主義への否定的挑戦が次々と起こっていた。だが、立憲政友会や立憲民政党は権力闘争に明けくれ、当時の新聞に「ほほう、まだ議会なんちゅうものがあったのかい」と書かれる始末だった。
左派の右傾化も深刻だった。社会大衆党は左派であったが、1933年頃から右旋回を始め、1937年総選挙で第三党に躍りでた。「対案路線」、そして「減税と借金で金を台所に届ける」という謳い文句の「大衆インフレ路線」へと舵を切った。
まるで、最近の野党と見まちがえそうな主張ではないか。前提にあったのは、社会的正義ではなかった。今日の「必要」さえ満たせば、大衆はしたがうという「愚民観」だった。
劇薬が必要なときは、従来の政策が機能しなくなる、歴史の混迷期である。だが、その劇薬が示す一時的な効果ゆえに、民主主義は衰退の一途をたどり、暴力が人間を支配する時代が訪れる。高橋財政の経験を、安易に成功へのノスタルジアとしてはならない。学ぶべきは、経済的成功と政治的失敗のあやういバランスなのである。
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