空前の歳出増だった「高橋財政」

参院選が近づき、コロナ禍を名目に、現金のバラマキが当たり前のように主張されている。みなさんは、これらの政策を正当化するときに、ある歴史上のできごとがしばしば成功事例として援用されていることをご存じだろうか。

それは「高橋財政」だ。

高橋財政とは、1931(昭和6)年12月から1936(昭和11)年2月に実施された高橋是清蔵相による独創的な財政政策をさす。

高橋財政が本格的に始まった1932年度の当初予算は、前年度の約15億円から一気に約20億円へと急増し、思い切った公共事業予算が計上された。国債への依存も急速に強まり、その国債は、日本銀行の引き受け、つまり同行からの借金でまかなわれた。

これにより、恐慌に苦しんでいた日本経済は見事に立ち直った。それだけじゃない。景気回復を見てとるや、高橋は1936年度予算で、税収増に相当する額の国債削減を実現した。あざやかな政策転換だった。

高橋財政が成功という誤解

急激な財政膨張と景気回復、そして、財政健全化へ……一見すると見事なシナリオに見える。だが、政策を細かく見ると、そのシナリオにはいくつかの留保が必要になる。

まず、財政出動だけが強調されがちだが、輸出の急増が経済成長を後押しした点は見逃せない。

高橋によって金本位制が停止され、金と交換できなくなった円は、大幅に安くなった。また、資本統制を行い、円安を維持することで、満州を中心とするアジア向け輸出が急増した。つまり、財政政策だけで経済が回復したわけではないのだ。

次に、日銀引受は、いちいち銀行と交渉せずとも、一気に日銀が国債を買い入れる点で政府にとっては楽な仕組みだったが、日銀のほうも、いったん引き受けた国債を、不況で融資先に困っていた銀行に「売却」していた。

景気が回復すると、銀行は国債を買うよりも、企業に融資するほうが得になる。「国債が売れない=景気回復」というシグナルがあり、日銀はこれを見逃さず、すかさず大蔵省に健全財政への転換を提案できた。

給付金に消費減税。異様な“バラマキ”は戦前の「高橋財政」にそっくりだ_1
高橋財政では、日銀は引受けた国債を銀行に売却していた

第三に、「財政健全化」に成功したとは到底言えない点にも注意が必要だ。たしかに国債削減には成功したが、じつは、国民に見えにくい形で巨額の政府債務が形成された。

自然増収分の国債削減には成功したものの、軍事費が全体の5割近くに達していた当時の状況は変わらなかった。

おまけに、軍事費の後年度負担だけで、税収の約7割に達していた。戦艦のように建造に数年かかる場合は、そのうちの一年分しか予算に計上されず、残りは次年度以降の支払いとされたわけだ。とても健全な財政とは言えなかったのである。