12月10日に娘夫婦が家を新築したばかり…

寒ブリ漁の盛んな同地区だが、漁船はことごとく流され、大破し、使い物にならない。

「まぁ、想定外やね。この辺りは寒ブリだな。みんな船流されたり裏返ったりして、もうダメですわ。ただ悲観はしてないかもな。年配の漁師たちは『あーちょうどよかった。もう漁師やめる時期や。もうなってしまったもんはどうしようもないな。あとは保険がなんぼ降りるかな』くらいのもんやで。もうダメになったもんをどんだけ悲観しても一緒だからな。そういう話しとらんとやりきれませんよ」

珠洲市内の海岸付近にうちあげられた船(撮影/集英社オンライン)
珠洲市内の海岸付近にうちあげられた船(撮影/集英社オンライン)

辻さんは地震のあった元日は、能登半島の最先端にある須須神社にいたという。

「私は須須神社の氏子総代もやっとるもので、受付のお手伝いで上がっとったんよ。それで『今日の神楽は終わり』と告げた途端にガーッと揺れ出した。隣の区の集会所の高台に避難して、波が落ち着いてから歩いて自宅に戻ったんだけど、受付しとったけ背広来て革靴履いとってね。道なんかずっと、水が高い位置まできとったから、やっとで家までたどり着いたわ。

ただおかげさまで怪我人はでましたが、寺家には犠牲者はいません。避難所になった集会所では風呂入りたいなどいろいろな要望があるけど、多いのはちょっとした自由がほしいって声だな。散歩なんかはしてるけど、基本は缶詰状態でザコ寝で仕切りもないもんだからな」

犠牲者は出なかった。しかし、津波が奪ったものはあまりにも大きかった。娘夫婦が新築したばかりの家が、壊滅したのだ。辻さんの表情が見る間に暗くなった。

「ウチの娘と婿さんがクリスマス前に沿岸部に家を新築して12月10日ぐらいに完成して入居したばっかのとこでよ。ウチは高台にあったんで、娘は妊娠中で切迫早産の可能性があったもんだから実家に来とって、地震のときもな。ウチは高台にあるもんで助かったんだけど、新築の家はダメになってますわ。

新居見てきてくださいよ。俺泣きましたよ。泣きました、俺。娘と婿に『ここに土地あるさかいにこっちこいや』て建てさせたのに。俺が呼んださかいにこんなんなったんかなって悪いほうに考えてしまって。娘と婿は2日の日に大事なものだけ取り行くと新居行って2人して泣いて帰ってきて……。『保険入っとんたんか』って俺もそこまで聞かれへんでね。今は娘は金沢のほうに避難して、赤ちゃんも来月出産予定で落ち着いてるんだけどね」

娘さんはまだ20代で、大工の夫と直前までは珠洲市の飯田地区で暮らしていたという。

押し寄せた津波(住民提供)
押し寄せた津波(住民提供)

「3年前に結婚して、新居は大工の婿さんが自分で建てた家なんよ。こだわって、でかいサッシ使ったり自分でいろんなもん選んで建てた家だったからなぁ」