「痛い」「助けて」「水飲みたい」と、目の前で娘が叫んでいた
能登半島地震で大きな被害を受けた石川県輪島市。記者は震災発生直後に一度取材に訪れているが、改めて朝市通り周辺を歩いてみると、いまだに骨組みだけになってしまった建物や、地面から突き出るように飛び出したマンホールが至るところにあった。歩道についても、補修されてないところがまだまだある。
地震発生当時からたびたび“震災の負のシンボル”として取り上げられた「五島屋ビル」も、時間が止まったようにその巨体を横たえたままだ。
五島屋ビルの下敷きになり、生き埋めになってしまった妻と長女の救出作業を涙ながらに見守っていた男性の姿を、記者もよく覚えている。五島屋ビルに隣接していた居酒屋「わじまんま」の店主・楠健二さん(56)だ。現在は、かつて家族と30年近く暮らした神奈川県川崎市に移り、店舗を再開させている。
当時のことを、楠さんは沈痛な表情で振り返った。
「元日は妻と長女と次男と次女で、店の上にある3階の自宅で過ごしていた。そのときに地震が起きた。1回目の揺れが驚くほど大きかったから外へ避難しようと着替えていたら、すぐに2回目の強い揺れがきた。
そのとき、背中にガーンという衝撃があって、そこから記憶がなく、飼っていた犬のワンワンという声で気がついた。どうなっているのかさっぱり理解できなかったけど、でもいつの間にか1階にいて、上を見たらビルがある。それでビルが倒れてきたのかって……」
次に意識が戻ったときに楠さんは立ち上がり、瓦礫に埋もれていた次男と次女を救い出した。そのあとに妻と長女の姿を探すと、2人は瓦礫に挟まれ、動かすことができなかったという。
「女房はかろうじて手を動かすことができたけど、もう話をすることはできなかった。娘は足が完全に瓦礫に挟まっていて動けなかったけど、まだ話すことができていた。『痛い』『助けて』『水飲みたい』って、目の前で娘が叫んでいたんだ。娘は、その2日後までずっと話ができた。何度も水を飲ませた。『このままじゃ死んじゃうかもしれねえ』って思って……。
挟まっている足を切断すれば娘は助かるかもって思ったけど、俺にはできなかった……。助け出すために『片方の足をずらせないか』って娘に尋ねると、『それ、私の足じゃない』って言っていて……。娘はもう足の感覚がなくなっていたんだ。気が変になりそうだったよ」