ひとつの教室に20人~30人近くが生活
1月25日、取材班を出迎えてくれた坂下重雄さん(77)は「遠いところまでよく来てくださった」と笑顔を見せたが、雪がちらつく天気同様、その笑顔はどこか曇っているようにも見えた。
最大震度7を観測した能登半島地震によって重雄さんの店舗兼自宅だった「衣料ストアーサカシタ」は倒壊し、現在は娘の嫁ぎ先である能登町で暮らし始めたという。今季最強の寒波が流れ込んだ1月下旬から、能登地方にも強い大雪が断続的に降り、ひときわ厳しい寒さが続いている。重雄さんはスコップ片手に玄関先で雪かきをしている最中だった。
「あれから私らは飯田小学校で避難生活をしておりましたが、家内がコロナにかかり、私自身も咳が止まらなくなり、それで娘の嫁ぎ先に一時的におじゃましている状態です。今は私らはよくなりましたが、今度は娘がコロナに罹り、旦那さんも熱を出して寝こんでしまっています」
そう言いながら応接間に案内してくれた。重雄さんが続ける。
「飯田小学校に避難していた方は当初は約500人とのことでした。ひとつの教室に20人~30人近くは生活していて、それぞれが布団代わりに畳や絨毯をひいて毛布をかぶって寝ていました。なかには椅子に座ったまま寝る人もいました。
空調が効いているので暖かったのですが、だいたい2枚の布団を3人で使うようなスペースだったので、知らない人が寝がえりをうてばぶつかる距離です。知らない人と一緒に寝るというのは私はともかく家内はストレスを感じていたのか、避難所で生活をし始めて4、5日後には耳鳴りがひどくなって左耳が聞こえなくなりました」
妻の坂下久美子さんが総合病院の耳鼻科で診てもらったところ、「ストレスと風邪からきている」と診断された。
避難所では給水所などで顔や手を洗うことはできたが、小まめに手洗いができるわけではない。教室内で集団生活していることもあり、風邪などをひく人は少なくなかったという。重雄さんも久美子さんもそうした生活のなかで体調を崩していった。