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「正直この状態を見て『父は生きてはいないだろう』と思いました」

奥能登最大の飯田港を抱える同市飯田町の商店街の真ん中で、婦人服から学校指定のジャージ類まで幅広く衣服を取り扱う「衣料ストアーサカシタ」の店舗兼住宅も、激震で倒壊した。

創業約130年と、街の歴史とともに歩んできた老舗の三代目店主、坂下重雄さん(77)は取材にも、「前科はありませんし、氏名も公表して大丈夫です」と冗談混じりに笑顔を見せてくれた。しかし、約17時間も倒壊家屋の下敷きになり、なんとか消防隊員に救出されたその体験は、想像を絶するものだった。

“現場”を指さす坂下さん(撮影/集英社オンライン)
“現場”を指さす坂下さん(撮影/集英社オンライン)
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「能登地方は昨年の5月5日にも震度6強の地震があったので、元日も最初の揺れでは『また地震か』くらいに思っていたんです。しかし、2度目の揺れ方は直感的に危ないと思い、咄嗟にコタツに飛び込んだんです。しばらく様子を窺おうと思う間もなく、突然天井が抜け落ちて目の前に迫ってきてコタツの上にどすんと衝撃がきました。

『天井が落ちた』という認識と自分が『ギャーッ』という叫び声をあげた覚えはあるのですが、その後は少しの間、失神してしまったんだと思います。次の記憶は、真っ暗闇の部屋のコタツの中で身動き取れない状態でした。腕のあたりを少し動かせる程度で体は動かせず、こたつを押すこともできませんでした。天井が落ちたことはわかっていたので、『家族は大丈夫だろうか』と思っていました」

「衣料ストアーサカシタ」の店内(撮影/集英社オンライン)
「衣料ストアーサカシタ」の店内(撮影/集英社オンライン)

この日は妻に加え、正月で帰省していた娘と20代の孫息子がいた。結果的には3人とも無事に逃げ出し、逆に姿の見えない父を心配していた。坂下さんの娘が、地震直後の様子を振り返る。

「すごい揺れ方をしたと思ったら、今度はものすごい音がして、息子が『じいちゃんが、じいちゃんが』と叫んでいるのに気づきました。私たちがいた2階の部屋は崩れ落ちはしなかったのですが、お父さんがいた1階の部屋は、ぺしゃんこの状態でした。お母さんと息子が父に声をかけ続けても返事がなく、正直この状態を見て『父は生きてはいないだろう』と思いました。それに私たち3人もすぐに津波から逃げなきゃいけないという状況でした」