輪島塗で郷土料理が味わえる名店も…

朝市通りにほど近い郷土料理店「まだら館」も、大規模な被害を受けた。戦後まもない1946年に創業し、現在は2代目店主が切り盛りする、輪島塗で郷土料理が味わえる名店だ。経営者の親族(40代)が途方に暮れながら語った。

「ちょうどお店も年末から休みに入っておりましたので、せっかくなのでと金沢市内のショッピングセンターに家族4人で遊びに出かけていました。金沢市内も揺れはかなり大きいものでした。地震が起きてすぐさま輪島に戻ろうとしましたが、車の渋滞もすごくて当日は一般車両は通行止めで、緊急車両しか通行が許されていませんでした。
その間にも商店街の仲間たちと連絡を取り合い、輪島が大変なことになっていることや我が家の様子も聞いておりました。結局、地震発生当日は途中の羽咋市でみなさんが避難されていた施設で一夜を過ごしました」

郷土料理の名店「まだら館」(撮影/集英社オンライン)
郷土料理の名店「まだら館」(撮影/集英社オンライン)

この親族は翌2日、ようやく輪島に戻ることができた。街並みは一変していた。

「店舗もかなり損害を受けていたし、蔵は倒壊していました。状況は聞いていたもののやはりショックでした。というのもここ数年コロナの影響で観光客も激減し、売上も減っていました。昨年は補助金の申請なども行い、また、ようやくここ最近客足も戻りつつあったという状況で、『今年から頑張るぞ』と思っていた矢先にこの地震ですからね……。この先どうなるかと不安ではあります。
ただ、自宅部分のほうは生活ができる状態だったので、今はなんとかそこで暮らしています。もちろんまだ停電が続いているし、食糧も金沢市のほうにまで買いに行かなければならないので、まだまだ大変な状況です。携帯電話の充電は、薬局で充電サービスをやっているので助かっています。今も子どもたちは薬局に充電しに行ってます」

店の前には池があり、そこで飼っていた大量の鯉も停電の影響でポンプの水の作動が止まり、みな死んでしまった。

「先代のころから育てていた鯉でした。2007年の能登地震のときにもポンプの水が止まって死んでしまったのですが、それからまた飼い始めてここまで大きくしていたので、残念ですね。お店に料理を食べに来てくれるお客さまや、近所のお子さんたちも池の中の鯉を見て喜んでくれていたんですが」

全滅した池の鯉(撮影/集英社オンライン)
全滅した池の鯉(撮影/集英社オンライン)

石川県が4日に発表した能登半島地震の犠牲者は92人、連絡の取れない安否不明者は242人に達した。前出の塗師三代目、松本昌夫さんの親戚の女性も、地震後に安否がわからなくなっている1人だという。

「60代なんだけど、地震から姿を見ていないので心配していますが、倒壊した自宅で生き埋めになっているかもしれません……。消防隊員がこちらに来ると遺体が出たのかと思ってしまいますよね……」

ひとりでも多くの命を救うため、必死の救助活動は続く。

焼け野原となった町(撮影/集英社オンライン)
焼け野原となった町(撮影/集英社オンライン)
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取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班