30歳で妻・ヘレンに打ち明ける

最初に私が政治の世界に挑みたいとヘレンに打ち明けたのは、30歳のころだったと思います。参議院選挙の被選挙権は30歳からなので、そのタイミングで話したと思うのですが、その時はまるで取り合ってもらえませんでした。

子どもは小さい、世話をする親が3人いる、そして家のローンも残っている……。私としてもようやくテレビのレギュラー番組が増えて忙しくなってきたところでの政界進出は、あまりにもリスクが大きすぎることは理解していました。

ただ、「いつか機会があれば」という思いだけは持ち続けていたのです。小学生のころから働いて、行きたかった高校進学もあきらめて、大やけどを負って芸人になった私が、いろいろと苦労はあったものの、身に余る幸せをいただくことができました。その恩返しをしなければ罰が当たります。

それから10年近くが過ぎ、40歳を目前にした私は、再び政治家への転身を真剣に考えるようになりました。もちろん不安はあります。

ようやく安定した生活を捨てて政治家になることが、果たして夫として、父親として正しい選択なのか──。正直言って悩みました。そうした悩みも含めてヘレンに相談したところ、彼女は前向きに考えてくれるようになりました。そして何度も何度も真剣に話し合った末に、ヘレンは「うん」と頷いてくれたのです。

これで自らの人生の方向性は定まりました。

初の政界進出を側で支えたヘレン夫人〈写真/文藝春秋提供〉
初の政界進出を側で支えたヘレン夫人〈写真/文藝春秋提供〉

「ワシも応援するわ!」やすしさんに出馬を伝える

昭和61年3月24日、吉本興業本社で記者会見を開き、参議院選挙への出馬表明をしました。やすしさんに出馬を打ち明けたのは、その3週間ほど前のことでした。

「じつはな、私、次の参院選に立候補しようと思うんです」

出馬を決めた理由を説明しました。

「いままで何十回と施設慰問に行かせてもらったけれど、福祉をやっている事業者にも“いい事業者”と“そうでもない事業者”があることが分かってきたんです。中には利用者のことなど二の次で利益を出すことしか考えない事業者もいました。窓ガラスが割れているのに新しいガラスを入れるわけでもなく、ビニールを貼っただけの寒い部屋がある施設もある。政治家が知らないそんな問題を取り上げて、政治の力で解決していきたいんや」

我が家にはヘレンの母と、私の両親がいて、高齢の親をサポートしてくれる妻と家族を支えてくれるような社会の仕組みが必要だと痛感したこと。これからは子どもからお年寄りまで目配りをした福祉が必要なこと。芸人として世に出て、多くの方々に応援していただいたのだから、これからは恩返しをさせてもらいたいと考えていることなどを説明しました。すると、やすしさんはこう言ってくれたのです。

「そりゃええこっちゃ。ワシも応援するわ!」